拓跋嗣10 勃勃襲撃

414 年、しばしば瑞祥が報告されるようになったため、大赦し改元した。拓跋嗣たくばつし繁畤はんしに移動、王公以下庶民に至るまで布帛を下賜した。


2 月、赫連勃勃かくれんぼつぼつ河東かとう郡の蒲子ほしを襲撃。官吏や民をあるいは殺しあるいはさらった。三城さんじょうを守る張昌ちょうしょうらが迎撃に出た。西河胡の曹成そうせい吐京ときょうの民の劉初原りゅうしょげんは赫連勃勃が置いた吐京の守将以下三百人余りを攻撃、殺した。

平城の東北に豐宮ほうきゅうが建てられた。


6 月、東晋の太山たいざんを守る劉研弟りゅうけんてい東平とうへいを守る趙鸞ちょうらん平昌へいしょうを守る羅卓らたくが投降。また斗城とじょう屠各とかくを率いる張文興ちょうぶんこうらが流民七千世帯あまりを率い、帰属した。河西胡の劉遮りゅうしゃ劉退孤りゅうたいこもまた一万世帯あまりの部民を率い帰属した。




神瑞元年春正月辛酉,以禎瑞頻集,大赦,改元。辛巳,幸繁畤。賜王公已下至於士卒百工布帛各有差。二月戊戌,車駕還宮。是月,赫連屈孑入寇河東蒲子,殺掠吏民,三城護軍張昌等要擊走之。庚戌,幸犲山宮。西河胡曹成、吐京民劉初原攻殺屈孑所置吐京護軍及其守三百餘人。乙卯,起豐宮於平城東北。

夏五月辛酉,車駕還宮。六月,司馬德宗冠軍將軍、太山太守劉研弟,輔國將軍、領東平太守陽平趙鸞,廣威將軍、平昌太守羅卓,斗城屠各帥張文興等,率流民七千餘家內屬。河西胡酋劉遮、劉退孤率部落等萬餘家,渡河內屬。戊申,幸犲山宮。丁亥,車駕還宮。


(魏書3-10)




拓跋嗣の移動は皆さんで分析してください。だるい。もう投げる。


それにしてものちに劉裕の長安攻めに見られる、「こちらの被害は書かずに敵に与えた損害だけを書く」がここで炸裂していてワクワクします。いや明らかに吐京での戦果より全体の損害のがでかいよね!? これ逆に「このぐらいしか反撃ができなかった」ことにならない!?


北魏さまの偉大なる戦績に、今日もほっこりするのです☆

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