拓跋嗣7  巡求儁逸

413 年、首都近郊の十二歳以上の男子を集め、拓跋嗣たくばつし自ら視察した。西宮さいぐうに出ると頞拔大あんばつだい渠帥きょすいといった四十人あまりが年始の参賀に出向いてきた。各官位爵位に応じた布帛・衣類を下賜した。諸州に六十世帯あたり一頭の軍馬を供出させた。東郊にて各軍部への視察をなした。奚斤けいきんに三万を与えて戦法となし、拓跋熙たくばつきら十二將に一万騎ずつを与え、白頭山はくとうざんに臨み、軍事演習を視察した。


2 月、拓跋熙以下の臣下に布帛を再び下賜した。拓跋嗣は高柳川こうりゅうせんに出、帰還した。北苑ほくえんに魚池を掘った。姚興ようこうより使者がやってきた。各地に使者を飛ばし、若き俊英や各地の豪族による有望な人物の推挙を受け、文武に才幹あり、その判断が確かなものでありる者を採用した。あるいは先の時代の賢人徳者の子弟であり德行清く、学識深く、人々を教え導くに足る者を採用した。そして彼らを平城に招聘、政治に参画させた。




五年春正月己巳,大閱,畿內男子十二以上悉集。己卯,幸西宮。頞拔大、渠帥四十餘人詣闕奉貢,賜以繒帛錦罽各有差。乙酉,詔諸州六十戶出戎馬一匹。庚寅,大閱於東郊,部署將帥。以山陽侯奚斤為前軍,眾三萬,陽平王熙等十二將,各一萬騎;帝臨白登,躬自校覽焉。二月戊申,賜陽平王熙及諸王、公、侯、將士布帛各有差。庚戌,幸高柳川。甲寅,車駕還宮。癸丑,穿魚池於北苑。庚午,姚興遣使來聘。詔分遣使者巡求儁逸,其豪門強族為州閭所推者,及有文武才幹、臨疑能決,或有先賢世冑、德行清美、學優義博、可為人師者,各令詣京師,當隨才敍用,以贊庶政。


(魏書3-7)




 拓跋嗣の時代になってぜんぜん軍事的な動きがないですね。とことん制度固めに奔走しているのであろうことがうかがわれます。そして、バラマキ。まぁいくら騎馬民族とは言っても拓跋珪たくばつけいの遠征の頻度はさすがに異常だったんじゃねえのと思わざるを得ませんし、各部民らの状態を立て直さなきゃいけなかったところもあったりはするんでしょうね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る