拓跋嗣6  四廂大將

412 年 2 月、拓跋嗣たくばつし虎圈こけんにて虎を射た。柵内に放し飼いにされている虎を射殺した感じだろうか。長孫嵩ちょうそんすうをはじめとした群臣に報奨を下した。


4 月、西宮さいぐうで群臣と宴を開き、それぞれに直言にて意見や提案を奏じるよう求めた。


7 月、東方を巡察。四廂大將を置き、また十二方位に十二小將を置いた。これは十六方のうち四方に大将軍、残りに小将軍を置いた感じだろうか。また奚斤けいきん拓跋屈たくばつくつを仮の左右丞相とした。

石會山せきかいざんにて狩猟儀礼に、去畿陂きょきはにて漁業儀礼に参列した。濡源だげんにまで出たところで西に向かい、北部諸村落をめぐり、布帛を下賜した。

8 月に平城へいじょうに帰還。西宮の板殿はんでんにて大いに饗宴を開き、巡察にて得たものを臣下に配布して回り、民にもまた三日の休業および宴を実施するよう命じた。王公以下、宿衞の將士に至るまで布帛が下賜された。


11 月、宗室である拓跋良たくばつりょう以下に布帛が下賜された。

12 月、拓跋嗣は北巡。長城を視察ののち帰還した。


この年、西秦せいしん乞伏乾歸きっぷくけんきが姪の乞伏公府きっぷくこうふに殺された。子の乞伏熾磐きっぷくしばんが立った。沮渠蒙遜そきょもうそん河西王かさいおうを自称した。




四年春二月癸未,登虎圈射虎;賜南平公長孫嵩等布帛各有差。

夏四月乙未,宴羣臣於西宮,使各獻直言。

秋七月己巳朔,東巡。置四廂大將,又放十二時,置十二小將。以山陽侯奚斤、元城侯元屈行左右丞相。己卯,大獮于石會山。戊子,臨去畿陂觀漁。庚寅,至于濡源。西巡,幸北部諸落,賜以繒帛。八月庚戌,車駕還宮。壬子,幸西宮,臨板殿,大饗羣臣將吏,以田獵所獲賜之,命民大酺三日。乙卯,賜王公以下至宿衞將士布帛各有差。

冬十有一月乙丑,賜宗室近屬南陽王良已下至於緦麻之親布帛各有差。十有二月丁巳,車駕北巡,至長城而還。

是年,乞伏乾歸為兄子公府所殺,子熾磐立。沮渠蒙遜自稱河西王。


(魏書3-6)




えっなにこのばらまき(ビビリ)


けどまぁ、「与えることができる」のが遊牧民的な王としての証のようにも思うし、この辺りはまだ漢型統治とは言い切れなかったんでしょうね。とは言え混合型ではあったんでしょう。これまで東晋〜宋の官職とばかり接してきたので北魏のこの謎官職には面食らってばかりです。これ、拓跋嗣が終わったら先に志に行ったほうがいいかなぁ。官職志、地理志あたりは先に見ておくほうがいいですね。礼志とか釈老志は後でいい。釈老志のあとまた高僧伝に行けると良さそうです。

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