拓跋嗣4  民衆慰撫

411 年 2 月、拓跋嗣たくばつしが詔勅を下す。


「衣食足りて榮辱を知る、という。そも人は飢えや寒さにて己を切られれば、ついには朝夕にまで生き延びられるかにすら怯えるもの。彼らをまず温め、食わせねば、どうして仁義になど思いを至らせ切れようか。王家による導きに誤りが多いのは、この点を見過ごしてしまったゆえではないのか。夫が田を耕し、妻が機を織る。この点も満足になし得ておれぬのに国家のていを名乗ってみたところで、人手が満足に揃うはずもあるまい。宮廷人のうち、目下の制作等に関わっておらぬものは解職し、民間の労働力に充てよ」


安同あんどうらが并州へいしゅう定州ていしゅう、諸山に住まう雜胡らや丁零ていれいのもとを巡察し、その悩みや苦労を聞いて回った。また不法をなす地方長官を上げさせた。各地では家産を失い、失職し、強者と弱者とがともに憎しみ合うような有様となっていた。また頼るべき家族もおらず、まともに雨風もしのげないようなものもあった。拓跋嗣はそういった人々からの声を吸い上げた。結果昌黎、遼東の民二千世帯あまりが北魏に帰属した。


3 月、拓跋嗣のそばに侍るものに帯剣を認めた。




三年春二月戊戌,詔曰:「衣食足,知榮辱。夫人飢寒切己,唯恐朝夕不濟,所急者溫飽而已,何暇及於仁義之事乎?王教之多違,蓋由於此也。非夫耕婦織,內外相成,何以家給人足矣。其簡宮人非所當御及執作伎巧,自餘悉出以配鰥民。」己亥,詔北新侯安同等持節循行并、定二州及諸山居雜胡、丁零,問其疾苦,察舉守宰不法;其冤窮失職、強弱相陵、孤寒不能自存者,各以事聞。昌黎、遼東民二千餘家內屬。三月己未,詔侍臣常帶劍。


(魏書3-4)




拓跋珪たくばつけいのときもそうですが、なんなんでしょうかね、この「漢人文化圏のやつ向けにあつらえた」感じの詔勅。まぁ拓跋嗣はかなり崔宏さいこうからの薫陶も受けていたと思うのでわからないでもないんですが、いや、どんだけ漢人的価値観って絶対化されてたの……? と戦慄せずにおれません。

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