拓跋珪42 凪の年

405 年 2 月、拓跋珪たくばつけいは宮殿に帰還した。

4 月、西郊せいこうにて天を祀る。ひるがえる旗はみな黑であった。

東晋とうしんでは安帝あんていが復帰。南燕なんえんでは慕容德ぼようとくが死亡し、甥である慕容超ぼようちょうが立った。




二年春二月癸亥,車駕還宮。

夏四月,車駕有事于西郊,車旗盡黑。

是歲,司馬德宗復僭立。慕容德死,兄子超僭立。



※資治通鑑掲載分

5 月、東晋の北青州きたせいしゅう刺史である劉該りゅうがいが謀反を起こし、北魏ほくぎ軍を引き入れた。これに清河せいが陽平ようへいを守る孫全そんぜんが兵を揃えて呼応。

6 月に北魏から索度真さくどしん斛斯蘭こくしらんが駆けつけ徐州じょしゅうに侵入、彭城ほうじょうを囲む。劉裕りゅうゆうは弟の劉道憐りゅうどうれん孟龍符もうりゅうふに兵を率いさせ救援。劉該および孫全を斬り、北魏軍を追い払った。


(魏書2-42)




まー徐州襲撃が魏書本紀に書かれないのは、順当といえば順当ですわね。地方だし、成果なかったしね。この辺列伝ではなんか書かれてるのかなあ。劉裕と北魏のファーストコンタクトだし、もうちょい解像度の高い話が欲しい。

しかし刺史と二郡太守クラスの地方官をあっさり蹴散らすとか劉道憐と孟龍符どうなっとるん? 孟龍符なんて特に猛将イメージはあるけど、将軍ばたらきできる感じはないんだよなあ。けどそうすると劉道憐がとんでもねー名将ということになってしまう……あ、これアレか、北青州にせよ清河陽平にせよ僑置か。なら実質部落状態だし、そう数も要らないはず。話を盛るために敢えて州郡と、まぁ確かに嘘ではない官位を用いたのかもしれない。

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