拓跋珪34 慕容氏立后

400 年、和突わとつ盧溥ろふ遼西りょうさいにて破り、盧溥とその息子である盧煥ろかんを捕らえた。両名は平城へいじょうに送られ、ともに車裂きに処せられた。北郊にてとある事件が発生、詳細は不明。この事態への対処か、拓跋珪たくばつけいは各地に監査官を飛ばし、各地の民の暮らしを観察の上、不法を働く郡主県主の不法を取り締まらせた。また群臣には功績に応じた布帛を下賜した。


2 月、東郊にて太陽に対する祭祀を執り行い、また拓跋珪自身が籍田に鍬を入れる儀式を執り行った。皇子の拓跋聰たくばつそうが死亡した。


3 月、慕容ぼよう氏を皇后に立てた。城の南より川の水を引き、東西の魚池を作った。


4 月、姚興ようこうより遣使があった。5 月、張濟ちょうさいを返礼の使者として遣わせた。拓跋珪は東方を巡察、涿鹿たくろくにいたる。現地ではぎょうしゅんを祀る廟を建設させた。ここから西方の馬邑ばゆう灅源るいげんをめぐった。


7 月、平城へいじょうに帰還。中天殿ちゅうてんでん雲母堂うんぼどう金華室きんかしつを建てた。


11 月、高車こうしゃ敕力犍ちょくりきけんが九百世帯あまりを連れ服属した。




三年春正月戊午,和突破盧溥於遼西,生獲溥及其子煥,傳送京師,轘之。癸亥,有事於北郊。分命諸官循行州郡,觀民風俗,察舉不法。賜羣臣布帛各有差。二月丁亥,詔有司祀日于東郊。始耕籍田。壬寅,皇子聰薨。三月戊午,立皇后慕容氏。是月,穿城南渠通於城內,作東西魚池。

夏四月,姚興遣使朝貢。五月戊辰,詔謁者僕射張濟使於姚興。己巳,車駕東巡,遂幸涿鹿,遣使者以太牢祠帝堯、帝舜廟。西幸馬邑,觀灅源。

秋七月壬子,車駕還宮。起中天殿及雲母堂、金華室。

十有一月,高車別帥敕力犍,率九百餘落內屬。


(魏書2-34)

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