拓跋珪36 いいわけ

この頃、星見役がしばしば天文現象の異常を訴え出ていた。そこで拓跋珪たくばつけい自らそれら現象およびその解釈について検証に当たった。その多くは「王が変わり、政が改められる」と言ったものであった。このため官職の名称が定期的に変更された。邪悪な人間たちの横行を防ぐのがひとつ、災いをなくし、天徴に応えんとしたのがひとつである。とは言えこの措置に対して臣下らはむしろ疑義を抱き、納得がいかない様子であった。そこで拓跋珪は詔勅を下す。


「古の統治は徳を至上とし、名声をその下に付けた。任務に携わるものがあったとしても、そのための爵位は存在しておらず、ゆえに統治は簡易にして整然としたものであり、邪謀や姦心なぞ発生する余地もなかった。


 しかししゅうの末より下のものが王を押しのけてのし上がり、好き好きに国号を名乗り、爵位俸禄を定めるようになった。公卿らは代々定められた職掌と俸禄を独占し、たとい士大夫らが何かを為し遂げたところで、正しき仕事をしたものが正しく取り立てられることもなく、お国の重大事項は結局一部のものでのみ回された。そこで国家内でのトラブルが起き、内乱がしばしば発生した。


 秦漢しんかんが衰退し滅んだのも、德を捨てて奢侈を好んだため士大夫の能力も正確に評価できなくなり、官位の序列も正しく機能せず、まるで職務遂行の期待できないものを職に充てたせいである。このせいで忠義の道は閉ざされ、廉恥を感じる心は消え去り、謙譲の美徳も減退し、いたずらな人物評価ばかりの気風に堕し、名誉地位の確保維持にばかりみなが汲々とし、かくて国破れるに至ったのだ。


 むかし、国には三公が置かれ、その職責のあまりの重さにプレッシャーもただならぬものであった。このため前漢ぜんかん陳平ちんぺいなぞは『罪を宰相に待つ』など,宰相着任がすなわち罰であるかのごとく語った。しかし大いに職責を委任されるわけであるから、その甚大なる俸禄は決して空疎なものではなかった。しかし今の世においてはみな、三公を富貴とし、嬉々として追い求める。しかしその職位は人主により命じられれ、任命そのものは極めて重大であるが、廃位は極めて軽易に行われる。このため官名には定まった名がないのであるが、その職務は常に定まっている。極めて重要な任であることは変わらぬのであり、大臣の官名を適当に決めている、だなどと言ったことではない。


 けつちゅうが玉座に君臨してみたところで、あのような者らは軽く扱われてもやむなきことであろう。一方で周公旦しゅうこうたんは王の下で働く立場でこそあるが、その尊ばれることは限りなかろう。末端の官人に至るまでもがその知を振り絞り、粗末なあばら屋に住むものであっても尊敬に値するならば尊敬する。道德もって振る舞う者はたとい富貴の生まれでもまともに任務もこなせぬ者には遙かに優るのだ。自らの器と向かい、学び続ける者はその人生を気高く全うするものだ。名利ばかりにかかずらう者たちは身を貶め、名誉をも失う。


 利益が名誉とともにあると、そこでは毀誉褒貶の嵐が吹き荒れる。道義が徳とともにあるときには、神識とも呼ぶべき知恵が家門を守る宝となろう。このために道義こそが統治の根本であり、名爵は統治の結果でしかない、と言われるのだ。名誉が道義に基づかないのであれば、それは正しき統治のあり方であるとは言えまい。爵位を与えることによって統治が改善されないようであれば、その爵位を与える意味もない。万が一不適格なものに爵位を与えて,しかもその乱行を防ぎきれぬようであれば、統治にとっては病を深めてしまうに他ならぬ。


 とは言え、世の変化によく通じ、その正しき見識を見失わぬままでおれる者なぞ、それこそ聖人と呼ばれうるものくらいであろう。見識浅くならざるを得ない我ら後世の者たちは、成功と失敗がどうもたらされるかを推察し、どのように統治と混乱がもたらされるのかを考え、殷周の失敗をよく観察し、秦漢の悪弊を見直そうと考え続けることで、なんとか統治に値する状況に近づけるのだ」


なおこの年、乞伏乾帰きっぷくけんき姚興ようこうに降伏し、李暠りこう西涼せいりょうを立ち上げた。




時太史屢奏天文錯亂,帝親覽經占,多云改王易政,故數革官號,一欲防塞凶狡,二欲消災應變。已而慮羣下疑惑,心謗腹非,丙申復詔曰:「上古之治,尚德下名,有任而無爵,易治而事序,故邪謀息而不起,姦慝絕而不作。周姬之末,下凌上替,以號自定,以位制祿,卿世其官,大夫遂事,陽德不暢,議發家陪,故釁由此起,兵由此作。秦漢之弊,捨德崇侈,能否混雜,賢愚相亂,庶官失序,任非其人。於是忠義之道寢,廉耻之節廢,退讓之風絕,毀譽之議興,莫不由乎貴尚名位,而禍敗及之矣。古置三公,職大憂重,故曰『待罪宰相』,將委任責成,非虛寵祿也。而今世俗,僉以台輔為榮貴,企慕而求之。夫此職司,在人主之所任耳,用之則重,捨之則輕。然則官無常名,而任有定分,是則所貴者至矣,何取於鼎司之虛稱也。夫桀紂之南面,雖高而可薄;姬旦之為下,雖卑而可尊。一官可以効智,蓽門可以垂範。苟以道德為實,賢於覆餗蔀家矣。故量己者,令終而義全;昧利者,身陷而名滅。利之與名,毀譽之疵競;道之與德,神識之家寶。是故道義,治之本;名爵,治之末。名不本於道,不可以為宜;爵無補於時,不可以為用。用而不禁,為病深矣。能通其變,不失其正者,其惟聖人乎?來者誠思成敗之理,察治亂之由,鑒殷周之失,革秦漢之弊,則幾於治矣。」

是歲,乞伏乾歸為姚興所破,李暠私署涼州牧、涼公。



※資治通鑑掲載分

董謐とうひつが拓跋珪に『服餌仙經ふくじせんきょう』を献上した。拓跋珪は仙人博士を置き、不老長寿の薬の開発に従事させた。なお薬の実験台は死罪で収監されていた者が充てられた。当然薬などできるはずもなく、多くの罪人が死んだ。しかし拓跋珪は依然として諦めず、更に研究を進めさせた。

拓跋珪は後燕こうえん慕容垂ぼようすいの息子たちが内輪もめで争い合い、最終的に敗亡したことを決して見習ってはならぬものであると考えていた。そこに公孫表こうそんひょうが『韓非子かんぴし』を献上。法制でもって臣下らを統御すべく勧めた。この頃左將軍の李粟りりつが拓跋珪に対してだらけきった態度を示しており、気ままにそのあたりにつばを吐き捨てさえするありさまだった。拓跋珪は積み重なった李粟の不敵な様を咎め、処刑した。この対処に臣下は驚き、恐れ、粛然とした。


(魏書2-37)




なんだこの全力での言い訳詔勅。こんだけ長々と語るだけ語って「聞くに値しない」と結論づけられるのもすげえな。こんな拓跋珪の恥部みたいな詔勅、よくもまあ乗っけたもンだ。

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