拓跋珪31 太学設置

3 月、拓跋珪たくばつけい高車こうしゃ討伐より帰還した。そして五經を始めとした諸経典、書籍にまつわる博士を設置、國子太學の生徒三千人を召し入れた。

なお同月、てい人の李辯りべん慕容德ぼようとくに背いてぎょうに逃れ、和跋わばつに救援を求めた。和跋も輕騎にて応じ、滑臺かつだいを襲撃、陥落させ、城内の人材資材を回収した。また奪還にやってきた慕容鎮ぼようちんの軍千人あまりを撃退した。


また庾真ゆしん奚斤けいきんを派兵。厙狄部こてきぶ葉亦干ようえきかん宥連部こうれんぶ竇羽泥とううでい太渾川たいこんせんにて打ち破らせる。これにより厙狄懃こてききんの族子である沓亦干ようえきかんが投降してきた。

庾真らはさらに侯莫陳部こばくちんぶをも打ち破り、馬牛羊を十万頭あまり獲得。逃亡者を追撃、殲滅し、大峨谷たいがこく入りした。


一方では中山ちゅうざん太守の仇儒きゅうじゅちょう郡にいる趙准ちょうじゅんのもとに亡命。趙准に使持節・征西大將軍・冀青二州牧・鉅鹿きょろく公の称号を献上した。また仇儒自身は趙准の副官として振る舞い、周辺住民を扇動して回った。そこで長孫肥ちょうそんひを派兵、平定させた。


4 月、傅世ふせいが門人や関連する千世帯あまりを糾合、決起する。5 月に庾岳ゆがくによって制圧された。




三月己未,車駕至自北伐。甲子,初令五經羣書各置博士,增國子太學生員三千人。是月,氐人李辯叛慕容德,求援於鄴行臺尚書和跋,跋輕騎往應之,克滑臺,收德宮人府藏;又破德桂林王鎮及郎吏將士千餘人。丙子,遣建義將軍庾真、越騎校尉奚斤討厙狄部帥葉亦干、宥連部帥竇羽泥於太渾川,破之,厙狄懃支子沓亦干率其部落內附。真等進破侯莫陳部,獲馬牛羊十餘萬頭,追殄遺迸,入大峨谷。中山太守仇儒亡匿趙郡,推羣盜趙准為主,號使持節、征西大將軍、冀青二州牧、鉅鹿公,仇儒為准長史,聚黨扇惑。詔中領軍長孫肥討平之。夏四月,前清河太守傅世聚黨千餘家,自號撫軍將軍。五月癸亥,征虜將軍庾岳討破之。



※資治通鑑掲載分

拓跋珪が設定した官制は以下のようであったという。尚書三十六曹と外署三百六十曹。八部大夫に管轄させた。また崔宏さいこうにこれらを取り仕切らせた。

拓跋珪は博士の李先りせんに質問している。「天下において至上の知とは何か?」「書籍に求めるより相応しいこともございますまい」「書籍にはいったいどのようなことが載せられているのか、そしてそれは集めきれるものなのか?」「書が生まれて以来、その数は膨れ上がっております。もはや数え切れもしませぬ。人主の参照すべき書が手に入らぬなぞ、憂える必要もございますまい!」こうして拓跋珪は各地より書籍を収集、平城に送るよう命じた。


(魏書2-31)




太学設置はいいけど反乱が地獄の様相呈してて笑う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る