拓跋珪29 即位儀式

12月、拓跋珪たくばつけいは天文殿入りする。そこで穆崇ぼくすうおよび長孫嵩ちょうそんすうより璽綬を受け取った。即ち、皇帝即位の正式受諾である。百官はみな「万歳!」と声を上げた。


大赦し、改元。遠き先祖である拓跋毛たくばつもう以下、及びその諸后に諡を追贈した。その時の式典では、皇始こうしの舞が用いられた。


北魏ほくぎが五行のどの徳に当てはまるかを百官に問えば、崔宏さいこうらは語る。


「土德にございましょう。故に衣服は黃色を尊び、命数を五とし、ひつじの方角に先祖代々の霊廟を構え、天に献上する生贄は白(金徳の色)のものを用い、各所に祭壇を設け、新たな時代の到来を民に広く伝え、以来の正朔をここに奉るのです」


六州二十二郡の守宰・豪傑・吏民、二千世帯あまりをだいに移住させた。


なおこの年、慕容宝ぼようほう蘭汗らんかんに殺されるも、まもなく慕容宝の息子、慕容盛ぼようせいに殺し返されている。また慕容徳ぼようとくえん王を自称した。




十有二月己丑,帝臨天文殿,太尉、司徒進璽綬,百官咸稱萬歲。大赦,改年。追尊成帝已下及后號諡。樂用皇始之舞。詔百司議定行次,尚書崔玄伯等奏從土德,服色尚黃,數用五,未祖辰臘,犧牲用白,五郊立氣,宣贊時令,敬授民時,行夏之正。徙六州二十二郡守宰、豪傑、吏民二千家于代都。是歲,蘭汗殺慕容寶而自立,寶子盛殺汗僭立。慕容德自稱燕王。



※資治通鑑掲載分

拓跋珪が皇帝となるのに際し宮廷内ではざんばら髪が禁じられ、髪を束ね帽子を被るよう命じられた。

先祖らのうち、特に拓跋力微たくばつりきび始祖しそ神元じんげん皇帝と、拓跋什翼犍たくばつじゅうよくけん高祖こうそ昭成しょうせい皇帝と、拓跋寔たくばつしょく獻明けんめい皇帝と諡した。


(魏書2-29)




「漢人らの頂点に立つもの」としての皇帝号なんですよねこれ。ならもしかして、李世民みたく「遊牧民としての尊号」も、別に名乗ったのかもしれません。いくらなんでも漢人式に不自然なくらい寄りすぎでしょう。崔浩さん、頼むからもうちょっとうまくやってくれませんでしたかね……? たぶんこの辺りは魏収さんに責任ないよね?

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