拓跋珪27 統治機構拡充

7 月、改めて平城へいじょうを都に定め、皇帝のための宮殿を設け、先祖代々の廟を立て、天地の神のための祭壇を設けた。

漁陽ぎょよう烏丸うがん庫傉官韜こじょくかんとうがまつろわぬ民を糾合し反乱を起こしたので、王建おうけんに討伐させた。


8月、平城周辺で区画を定め、城域を確保し、山間にも道を張り巡らせ、一定距離ごとに距離標を設置、五權・五量・五度を制定した。

また各地に検察吏を飛ばし、無法な統治を為す郡主国主を報告させ、拓跋珪たくばつけいみずから報告の内容を確認した後各員の進退を決定した。


9月、後燕こうえんから降伏してきた張驤ちょうじょうの子である張超ちょうちょうが亡命者を糾合、勃海ぼっかい南皮なんぴにて征東大將軍・烏丸王と自称。周辺各地を劫略して回った。庾岳ゆがくに討伐をさせた。


10月、天文殿てんもんでんが建てられた。




秋七月,遷都平城,始營宮室,建宗廟,立社稷。漁陽烏丸庫傉官韜復聚黨為寇。詔冠軍將軍王建討平之。八月,詔有司正封畿,制郊甸,端徑術,標道里,平五權,較五量,定五度。遣使循行郡國,舉奏守宰不法者,親覽察黜陟之。九月,烏丸張驤子超,收合亡命,聚黨三千餘家,據勃海之南皮,自號征東大將軍、烏丸王,抄掠諸郡。詔將軍庾岳討之。冬十月,起天文殿。


(魏書2-27)




いま魏書天体志を確認してみたんですが、やっぱりいわゆる天文現象は天文殿設置以降の内容が多かったです。しかし、拓跋珪の生活パターン的に下手に都とか設定しても仕方ない気はするんだけどなあ。なにせ動くのが拓跋ですもの。この辺、どんだけ漢族基準で魏収ぎしゅうが曲筆したんでしょうね。いや、あるいは魏収以前から漢族式の記録しかなかったとか? うーん、謎です。

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