拓跋珪25 謀反と帰順

2 月、拓跋珪たくばつけい中山ちゅうざんから繁畤宮はんしきゅうに移動、守備兵選抜に携わった。また国内に移住させた民に耕作のための牛、戸籍、田畑を与えた。


3 月、離石りせきを守っていた呼延鉄こえんてつ張崇ちょうすうらが謀反を起こした。庾岳ゆがくに討伐させた。漁陽ぎょようでは庫傉官韜こじょくかんとうが謀反を起こした。伊謂いせいに討伐させた。

拓跋儀たくばつぎ平城へいじょうに帰還させ、代りにを拓跋遵たくばつじゅんに中山を守らせた。


4 月、拓跋遵を常山じょうざん王に、拓跋順たくばつじゅん毗陵びりょう王に進封し、穆崇ぼくすうを太尉に、長孫嵩ちょうそんすうを司徒にした。西郊にて天を祀った。

拓跋意烈たくばついれつが謀反を企んだため平定、処刑した。その妻子の罪は問われなかった。

鄜城ろくじょう董羌とうきょう杏城きょうじょう郝奴かくど河東かとう薛榆せつゆてい族の部族長である苻興ふこうが、それぞれ部民を率い帰順してきた。




二月,車駕自中山幸繁畤宮,更選屯衞。詔給內徙新民耕牛,計口受田。三月,離石胡帥呼延鐵、西河胡帥張崇等聚黨數千人叛,詔安遠將軍庾岳討平之。漁陽羣盜庫傉官韜聚眾反。詔中堅將軍伊謂討之。徵左丞相、衞王儀還京師,詔略陽公遵代鎮中山。夏四月壬戌,進遵封常山王,南安公元順進封毗陵王,征虜將軍歷陽公穆崇為太尉,安南將軍鉅鹿公長孫嵩為司徒。帝祠天於西郊,麾幟有加焉。廣平太守、遼西公元意烈謀反,於郡賜死,原其妻子。鄜城屠各董羌、杏城盧水郝奴、河東蜀薛榆、氐帥符興,各率其種內附。



※資治通鑑掲載分

2 月、拓跋珪は白登山はくとうざんに登り、子連れの熊を見かけた。そこで于栗磾うりつていに言う。「そなたは勇名で知られるが、あれを捕えることはできるのかな?」すると于栗磾が答える。「獸は賤しく人は貴きもの。ここで捕らえられずして敗れれば、無駄に壮士を失うにとどまりますまいに!」と言ったが、拓跋珪のまえに追い立てられた熊を射倒し、捕獲した。拓跋珪は于栗磾に謝罪した。

爾朱羽健じしゅうけんが拓跋珪の晉陽しんよう、中山攻めにて功績を上げたことから、散騎常侍に任じられ、また多くの封地を与えられた。柔然の侵略を李先りせんが撃退した。


(魏書2-25)

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