拓跋珪22 何恤乎無民

八月。拓跋珪たくばつけいは軍を魯口ろこうから常山じょうざん九門くもんに進めた。このとき軍中で疫病が流行り、人・馬・牛を多く失った。被害状況を問えば、半数強が犠牲にあっているとのことであった。

中山ちゅうざんは落ちない、そこにこの病である。軍中には厭戦気分が充満する。そこで拓跋珪、諸将を前にし、言う。


「これこそが天命なのであろう! 拓跋をあえて減らしてでも、慕容ぼようを受け入れ、一つの国を打ち立てよ、とのお告げである! ここで彼らの犠牲に足を囚われ続けるわけにはゆかぬ!」


この発言に、あえて群臣で声を上げようというものはいなかった。拓跋遵たくばつじゅんに中山を襲撃、周辺の植物を伐採させた。


9 月に入ると、中山の飢餓は極限に至る。ついに慕容麟ぼようりんが三万あまりの兵を率い、新巿しんしに侵攻した。これを刈り取ろうとした拓跋珪に対し、占術師の晁崇ちょうすうが不吉であると語る。理由を問うと、以下のように答えた。


「昔、いん紂王ちゅうおうは甲子の日に滅びました。本日はまさしく甲子。この日の軍役は、兵家の忌むところでございます」


しかし拓跋珪、一笑に付す。


「紂が甲子に滅んだのならば、甲子はしゅう武王ぶおうの勝った日であろう」


晁崇は答えに詰まるのだった。




八月丙寅朔,帝自魯口進軍常山之九門。時大疫,人馬牛多死。帝問疫於諸將,對曰:「在者纔十四五。」是時中山猶拒守,而饑疫並臻,羣下咸思還北。帝知其意,因謂之曰:「斯固天命,將若之何!四海之人,皆可與為國,在吾所以撫之耳,何恤乎無民!」羣臣乃不敢復言。遣撫軍大將軍略陽公元遵襲中山,芟其禾䒩,入郛而還。九月,賀麟飢窮,率三萬餘人出寇新巿。甲子晦,帝進軍討之,太史令晁崇奏曰:「不吉。」帝曰:「其義云何?」對曰:「昔紂以甲子亡,兵家忌之。」帝曰:「紂以甲子亡,周武不以甲子勝乎?」崇無以對。


(魏書2-22)




斯固天命,將若之何!

四海之人,皆可與為國,

在吾所以撫之耳,何恤乎無民!

犠牲を理由に引き下がるわけにはいかない、を、どう解釈するか。ここで考えられるのは、「拓跋が頭としてどどんと乗る」体制がわりとキツかった可能性はないだろうか。なのでその辺りが削れることにより、よりバランスの良い中原型運営ができるようになった、とか? まぁわかりません。ここで諦めたらおしまい、的なところもあったんでしょうけど。


「減ったことが天命」

「他の民を受け入れるため」


って、なかなか死んだ兵たちの縁者としては受け入れがたい考え方だと思うけど、合理的といえば合理的ではあるんですよね。与えられる土地だって無限なわけでもありませんし。

とはいえ、さすがにここで離脱をえらい出してそうだよなぁ。

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