拓跋珪20 慕容詳即位

4 月、拓跋珪たくばつけいは兵糧の関係から拓跋儀たくばつぎぎょうから引き上げさせ、鉅鹿きょろくに移動、楊城ようじょうに兵糧を集めさせた。慕容詳ぼようしょうがそこに襲撃をかけるも、長孫肥ちょうそんひらに迎撃させ、また自らも軍を駆って慕容詳軍に大打撃を与えた。斬首は五千、捕虜は七百人。そして慕容詳自身は解放した。


5月、功臣に褒賞を下した。拓跋珪は中山ちゅうざんが慕容詳によって守られているとは言え、もはや逃れる先もないことを改めて通知。中山を囲む兵らに武器を掲げさせ、示威行為をした後、あえて包囲を解き、南に陣を移した。


拓跋儀たくばつぎを左丞相と、拓跋題たくばつだいを王とした。




夏四月,帝以軍糧未繼,乃詔征東大將軍東平公元儀罷鄴圍,徙屯鉅鹿,積租楊城。普隣出步卒六千餘人,伺間犯諸屯兵,詔將軍長孫肥等輕騎挑之,帝以虎隊五千橫截其後,斬首五千,生虜七百人,宥而遣之。夏五月庚子,大賞功臣。帝以中山城內為普隣所脅,而大軍迫之,欲降無路,及密招喻之。甲辰,曜兵揚威以示城內,命諸軍罷圍南徙以待其變。甲寅,以東平公元儀為驃騎大將軍、都督中外諸軍事、兗豫雍荊徐揚六州牧、左丞相,封衞王。襄城公元題,進封為王。



※資治通鑑掲載分

慕容会ぼようかい慕容隆ぼようりゅう慕容農ぼようのうを強襲。慕容隆を殺し、慕容農には脳を露出させる重傷を負わせた。これに怒った慕容宝ぼようほうは慕容会とその母を殺した。

慕容詳は拓跋珪の動きを見て「自らが魏軍を退けた」と勘違いし、皇帝を自称した。そして拓跋觚たくばつこを殺した。

鄴では慕容徳ぼようとくもまた帝位を名乗ろうとしたが、慕容宝の存命を聞き、思いとどまった。




(魏書2-20)

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