拓跋珪17 後燕包囲1

399 年。拓跋珪たくばつけい魯口ろこうで宴会を開いた。


慕容宝ぼようほう慕輿騰ぼよとう博陵はくりょうを攻撃させ、中山ちゅうざん高陽こうようの守将を殺害、軍資を劫略した。


このとき信都しんともまだ陥落には程遠い状態であり、そこで拓跋珪たくばつけいは自ら進軍、包囲した。同日夜、慕容鳳ぼようほうが信都を脱出、中山ちゅうざんに逃げ帰った。後燕将の張驤ちょうじょう徐超じょちょうが投降してきた。


慕容宝は拓跋珪が信都に出たのを見て博陵はくりょう深澤しんたくに移動、呼沱水こたすい河畔に拠点を置き、弟の慕容麟ぼようりん楊城ようじょうを攻撃させ、守兵三百人あまりを殺し、城内の財宝、女官をエサに周辺の群盗を自陣営に引き込んだ。




二年春正月己亥朔,大饗羣臣於魯口。慕容寶遣其左衞將軍慕容騰寇博陵,殺中山太守及高陽諸縣令長,抄掠租運。是時信都未下,庚申,乃進軍。壬戌,引騎圍之。其夜,寶冀州刺史宜都王慕容鳳踰城奔走,歸于中山。癸亥,寶輔國將軍張驤、護軍將軍徐超率將吏已下舉城降。寶聞帝幸信都,乃趣博陵之深澤,屯呼沱水,遣弟賀麟寇楊城,殺常山守兵三百餘人。寶悉出珍寶及宮人招募郡縣,羣盜無賴者多應之。



※資治通鑑掲載分

賀賴盧がらいろは拓跋珪の叔父に当たるわけだが、拓跋儀たくばつぎよりの信任を受けられなかったため、恨みを抱いていた。いっぽう拓跋儀の副官である丁建ていけんは、ひそかに慕容徳ぼようとくと通じており、両者の確執を知ると矢文にて慕容徳にその旨を伝えた。

翌日は昼なお暗い状況であった。そんな中賀賴盧の陣営で火の手が上がる。丁建は拓跋儀に「賀賴盧が陣を焼いたのには、なにか変事があったに違いありません」と語る。拓跋儀はそれを信じ、兵を引いた。賀賴盧もそれを聞き、また兵を引いた。丁建は自らの兵を率いて慕容徳に投降。また慕容徳には拓跋儀の兵が老いていると語り、攻撃を仕掛けるべきと述べた。そこで慕容徳は慕容鎮ぼようちん慕容青ぼようせいに七千騎で北魏軍を追撃させ、大破した。

また慕容宝も慕輿騰に博陵を攻撃させ、北魏側で派遣させていた守将の王建らを殺した。

信都は六十日あまりの守城戦を耐え抜いていたが、兵力の損耗も激しかった上、さらには拓跋珪自身の参戦も加わり、形勢不利に傾いた。そのため守将の慕容鳳が信都を脱出。残された兵らは降伏した。



(魏書2-17)




安定の「北魏敗報は載せない」スタンス……いつもどおりの魏書さん……

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