拓跋珪15 改元皇始

396 年7月、許謙きょけん拓跋珪たくばつけいに向け、皇帝になるよう勧めてきた。いったんここでは王位のままとしたが、もろもろの制度を整え、皇始こうしと改元した。


8月、東郊とうこうにて軍事演習をなしたのち、後燕こうえん慕容宝ぼようほうを打破するために軍を動かす。みずから六軍40万余を率い南下、馬邑ばゆうに出、句注くちゅうを通過。北魏ほくぎ軍の旗の連なること800km強にも及び、周辺住民はみなその威容の前に打ち震えた。また別軍として封真ふうしんら三軍を東方に動かし、幽州ゆうしゅうしょうを包囲させた。


9月。陽曲ようきょく西山せいざんを経て晉陽しんように臨む。諸将に命じて包囲させれば、守将の慕容農ぼようのうはたちまち妻子を連れて夜中に逃亡、幷州へいしゅうは制圧された。役所を置き、官僚を配する。このときにつけた役人はみな文人である。ようやく手に入れた中原の地を統治するのに、拓跋珪は配慮の限りを尽くした。やってきた士大夫については年齢に関わらず自ら引見、その能力について事細かに確認し、少しでも能力があるのであれば、みな採用した。

一方で奚牧けいぼくに命じ、晉川しんせんを襲撃させた。後燕こうえん慕容買得ぼようばいとくらを平陶へいとう城で捕獲した。




秋七月,右司馬許謙上書勸進尊號,帝始建天子旌旗,出入警蹕,於是改元。八月庚寅,治兵于東郊。己亥,大舉討慕容寶,帝親勒六軍四十餘萬,南出馬邑,踰于句注,旌旗駱驛二千餘里,鼓行而前,民屋皆震。別詔將軍封真等三軍,從東道出襲幽州,圍薊。九月戊午,次陽曲,乘西山,臨觀晉陽,命諸將引騎圍脅,已而罷還。寶并州牧遼西王農大懼,將妻子棄城夜出,東遁,并州平。初建臺省,置百官,封拜公侯、將軍、刺史、太守,尚書郎已下悉用文人。帝初拓中原,留心慰納,諸士大夫詣軍門者,無少長,皆引入賜見,存問周悉,人得自盡,苟有微能,咸蒙叙用。己未,詔輔國將軍奚牧略地晉川,獲慕容寶丹陽王買得等於平陶城。



※資治通鑑掲載分

7月、慕容宝が実情に合わない任用を行って国を乱した。そこで張恂ちょうしゅんが拓跋珪に中原獲得に動くべきと勧めた。

幷州では霜害が起こっており、慕容農は領内より食料を召し上げていたため民より恨まれていた。このため北魏への内通も相次いだ。このほか慕容宝の失策続きにより、宗室間での連帯が失われていた。

慕容農は魏軍の襲撃を受け逃亡したが、長孫肥ちょうそんひの追撃を受けて妻子は捕らえられ、自らも怪我を負っての脱出となった。

拓跋珪は汾川ふんせんを獲得後、張恂を派遣し、離散した民を招き、農務を推奨させた。

後燕では対北魏戦略の検討にあたり、関所封鎖派と中山ちゅうざん籠城派に分かれた。最終的には籠城派筆頭の慕容麟ぼようりんの提案が受け入れられ、作戦総指揮を任じられた。慕容農には安喜あんきの守備が任じられた。




拓跋珪の慰撫方針、資治通鑑でツッコミが入るんじゃってワクワクしてたんですが、さすがにここは資治通鑑もそのまま拾ってました。つまらん(おい)。


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