拓跋珪10 鉄弗粉砕

11月。紐垤川ちゅうてつせんに出た。


劉衞辰りゅうえいしんがふたたび子の劉直力鞮りゅうちょくりきでい北魏ほくぎ南部を侵略させた。拓跋珪たくばつけいは自ら討伐に出向き、鐵歧山てっきさんの南にて大破、攻城具や輜重、牛や羊を二十万あまり獲得した。さらに五原ごげん金津きんしんから黄河こうがを南渡し、代来城だいらいじょうを攻撃。劉衞辰とその諸子は脱出を図った。拓跋珪は追討の軍を飛ばし、劉直力鞮を捕獲した。


また12月には配下によって殺された劉衞辰の死体を獲得。公衆の面前で死体を切り捨て、鉄弗部てっふつぶの滅亡を宣言した。このあたりは劉衞辰伝に詳しい。


劉衞辰の三男である劉勃勃りゅうぼつぼつ叱干部しつかんぶに亡命した。拓跋珪は塩池えんちに進み、残党を平定。珍寶や畜產、名馬三十万あまり、牛羊四百万頭余りを接収した。これらを臣下に、功績に応じ分配した。鉄弗部残党五千人余りを長幼の別なく捕らえ、殺害した。


山胡さんこの酋長である大幡頹だいはんたい業易于ぎょうえきうらが三千世帯あまりを引き連れ、降伏。馬邑ばゆうに移住させた。




十有一月戊辰,還幸紐垤川。戊寅,衞辰遣子直力鞮寇南部。己卯,車駕出討。壬午,大破直力鞮軍於鐵歧山南,獲其器械輜重,牛羊二十餘萬。戊子,自五原金津南渡河。辛卯,次其所居悅跋城,衞辰父子奔遁。壬辰,詔諸將追之,擒直力鞮。十有二月,獲衞辰尸,斬以徇,遂滅之。語在衞辰傳。衞辰少子屈丐,亡奔薛干部。車駕次于鹽池。自河已南,諸部悉平。簿其珍寶畜產,名馬三十餘萬匹,牛羊四百餘萬頭。班賜大臣各有差。收衞辰子弟宗黨無少長五千餘人,盡殺之。山胡酋大幡頹、業易于等率三千餘家降附,出居于馬邑。是歲,起河南宮。



※資治通鑑掲載分

拓跋珪は叱干部へ劉勃勃の引き渡しを要求した。しかし返答は拒絶。その上で劉勃勃を南方、没奕于ぼつえきうの許に護送した。没奕于は劉勃勃に娘を娶らせた。




このあたりは赫連勃勃で見たあたりにも重なってきますね。しかし勃勃、どう頑張っても逆恨みなんだよなぁ。明らかにちょっかいかけてるの鉄弗だし。とはいえこのへんは魏書にせよ晋書にせよ拓跋目線なこと忘れてはならないですね。

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