拓跋珪4  対峙

七月、拓跋珪たくばつけい盛樂せいらくに帰還。代題だいだいが部民を率いて降伏してきたが、またすぐに劉顯りゅうけんのもとに亡命した。拓跋珪は代題の孫、倍斤ばいきんに部民を率いさせた。

同月、劉顯の弟である劉肺泥りゅうはいでい劉奴真りゅうどしんの部落を劫略して回った後、拓跋珪のもとに帰順した。


拓跋珪の叔父にあたる拓跋窟咄たくばつくっとつだい滅亡時に苻堅ふけんにより長安ちょうあんに連行されていた。その後慕容永ぼようえいとともに東方に脱出、新興しんこう太守に任じられていた。八月になると劉顯は弟の劉亢泥りゅうこうでいに拓跋窟咄を迎え入れさせ、兵を与え、北魏に南から対峙させた。人々は動揺し、どちらにつくべきかと迷い出す。拓跋珪の周囲でも于桓うかんらが拓跋窟咄に呼応しようと動いた。その策謀は間もなく漏れ、于桓を始めとした首謀者五人は処刑されたが、他のものを罪に問うことはなかった。


拓跋窟咄と裸で対峙するのは危うい。拓跋珪はそう判断すると、北のかた陰山いんざんを越え、再び賀蘭部がらんぶのもとに収まる。そして山を城壁とし、守りを固めた。あわせて部民ではない安同あんどう長孫賀ちょうそんが後燕こうえんに派遣、慕容垂ぼようすいに援軍を求めた。慕容垂は慕容麟ぼようりんに援助物資を持たせ、救援に向かわせた。




秋七月己酉,車駕還盛樂。代題復以部落來降,旬有數日,亡奔劉顯。帝使其孫倍斤代領部落。是月,劉顯弟肺泥率騎掠奴真部落,既而率以來降。初,帝叔父窟咄為苻堅徙于長安,因隨慕容永,永以為新興太守。八月,劉顯遣弟亢泥迎窟咄,以兵隨之,來逼南境。於是諸部騷動,人心顧望。帝左右于桓等,與諸部人謀為逆以應之。事泄,誅造謀者五人,餘悉不問。帝慮內難,乃北踰陰山,幸賀蘭部,阻山為固。遣行人安同、長孫賀使于慕容垂以徵師,垂遣使朝貢,并令其子賀驎帥步騎以隨同等。


(魏書2-4_仇隟)




ぼく「慕容垂が朝貢とかやめろ」

現場からは以上です。


いやー、劉顕難敵ですね。と言うか、お互いに距離のとり方がうまい。このへんは騎馬機動を主とする人たちならではの感覚なんだろうなあ。あっさり盛楽空けるとか、中原人じゃありえませんわ。




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