夏文人 胡義周・趙逸
趙逸は幼少の頃にはすでに学問で名を知られ、
「あのクソはカスだ! どうしてこうも称える意味がある! ええい、作者をここに呼べ!」
すると
「文士のものする毀誉褒貶のたぐいは、いちいち大げさに書くものです。彼の者の誤記は、いわば漢代の大文人、
それを聞き拓跋燾は趙逸の処刑を思いとどまり、魏に取り立てた。
なお趙逸の兄の
胡義周,安定臨涇人也。博渉經史,尤善屬文。初仕秦姚泓,為黃門侍郎,以文章著稱。泓滅,遂仕於勃勃,為秘書監。勃勃作綂萬城,義周為之銘又有『虵祠碑』諸文,頗行於世。其子方回仕勃勃,中書侍郎。
趙逸,字思群,天水人也。十世祖融,漢光祿大夫。父昌,石勒時為黃門侍郎。逸好學夙成,仕姚興,歷中書侍郎,為興將齊難軍司馬,從征勃勃。難敗,逸為勃勃所虜,拜著作郎。世祖平統萬,見逸所為文,譽勃勃太過,怒曰:此豎無道,安得為此言乎!作者誰也?其速推之。司徒崔浩進曰:文士褒貶,多過其實。彼之謬述,亦猶子雲之『美新』。皇王之道,固宜容之。世祖乃止。後仕於魏。逸兄溫,字思恭,博學有高名,仕姚泓天水太守。泓敗,沒于氐王楊難當。
(晋書130-22_文学)
晋書載記ラストは文人さんでした。崔浩が出てきて爆笑しましたが偶然です。マジで。そしてこの言い回し! うーん崔浩! って感じだ。
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