勃勃21 夏滅亡
また高祖父の
赫連勃勃は凶暴にして殺人を好み、物事の道理を守る気もなかった。統万城内にあっては常に弓矢と剣を傍らに置き、少しでも嫌悪の情を抱いたり怒ったりでもすれば、たちまち自らの手で相手を殺した。臣下が批判的な目つきをすれば目をえぐり、笑うものがあれば唇を割き、諌めるものが批判を口にすればその舌を切り取った上で殺した。華人胡人となく常に脅かされており、いつその身に死が訪れるとも知れずにあった。
420 年にして
名其南門曰朝宋門,東門曰招魏門,西門曰服涼門,北門曰平朔門。追尊其高祖訓兒曰元皇帝,曾祖武曰景皇帝,祖豹子曰宣皇帝,父衛辰曰桓皇帝,廟號太祖,母苻氏曰桓文皇后。勃勃性凶暴好殺,無順守之規。常居城上,置弓劍於側,有所嫌忿,便手自殺之,群臣忤視者毀其目,笑者決其脣,諫者謂之誹謗,先截其舌而後斬之。夷夏囂然,人無生賴。在位十三年而宋受禪,以宋元嘉二年死。子昌嗣偽位,尋為魏所擒。弟定僭號於平涼,遂為魏所滅。自勃勃至定,凡二十有六載而亡。
(晋書130-21_衰亡)
死後の展開が速い。(まがお)
それにしても「勃勃性凶暴好殺~」以降をどう扱ったものでしょうね。いや信じても信じなくてもあんまり情勢に関わらないしどうでもいいんですが。とりあえず胡人たちのある程度の性状は拾えるにしても、間違いなく敵対者の筆によるものだしなあ、という。
何せ劉宋にしても、勃勃については魔王と描きたいところだったでしょう。その辺では唐に流入した南朝系史官も「勃勃イズクソ」史観を混入させたかったのだろう、的な妄想は可能です。もちろんそれを妄想したところで、何も意味はないのですが。
さて、これで赫連勃勃は終了。屠本十六国春秋には感動的に晋書以外の情報がなかったため、ここから北魏に仕えた赫連夏系人物を、北魏の列伝からピックアップしていく感じになります。と言っても三名のみ。どんだけ薄いねん。
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