勃勃17 功徳頌序 上

赫連勃勃かくれんぼつぼつ統万城とうまんじょうに帰還した頃、宮城が竣工。そこで大赦をなし、真興しんこうと改元した。さらに宮城の南に石刻を設置。以下のように刻んだ。


「偉大なる徳の持ち主は不朽の大事業をなし、道に則ったものは国体に長きの祝福を受ける。昔、ぎょうの治世では多くの災厄に見舞われていたが、我が偉大なる祖先たる王が課題に当たられ、治水をなして全土の川をお鎮めになり、天地創造にも等しき功績をお挙げになった。故に陰陽、天地人の神霊は禹王を祝福、王朝の建立が承認された。

 そこから代を伝わること二十、治世は四百年に及び、次々に現れる賢人聖王が優れた統治をなし、古の規範として燦然と輝いた。しかし泰平とは常に続くものでもない。ときには艱難が待ち受けるものである。結局のところけつ王の乱政により天命はいんに譲り渡され、大夏の輝きはひととき失われた。しかしその輝きが滅び去ったわけではない。夏氏の祭祀はなおも万余の回数を重ね、漠南ばくなんにてふたたび立ち上がり、朔北さくほくにて羽ばたいた。王は自ら手綱を取り遠征をなされ、西は昆山こんざんのそばまで進出、目の密なる網を投ぜられ、東は滄海そうかいの上にまでお出になった。

 いま、このときに及ぶまでに流れた月日は二千年。関中かんちゅうでは三つの国が入れ替わり、洛陽らくようでは五つの国が立ち替わった。この頃の関中では簒奪、虐殺の嵐が吹き荒れ、許都きょとや洛陽でも主権争奪の闘いが繰り広げられた。しかしながら幽州ゆうしゅうや朔方、すなわち北部の情勢は静謐に満ち、君主は常に天のそばにおわし、天下の安寧により、臣下もまたよこしまな意図を抱かずにいた。このため軍備を万全とした百万余もの精鋭が馬にまたがり遠征し、関中や并州を撹乱して回り、中原の各拠点を得るまで油断することなく、天命のくだる日を待ち続けたのだ。

 かくしてひとたび動き出せば、涇陽けいようの戦績にて周文しゅうぶん周武しゅうぶを越え、平陽へいようの一戦にて漢高かんこうの指揮を越えた。

 無数の覇王が陸続と現れるのは太陽が日々東の空より昇るかのようでこそあるが、超常たる武勇を持つ英雄が立て続けに現れるといった事態は月が西の空から上がってくるかのごとく、有史以来ありえぬ事である。天命を授かり、広き版図を得ずして、どうして幹に多くの枝葉を生やすかのごとく、数々の祭祀に徳の光をもたらすことができようか。寒き霜を乗り越えて栄え、邪気を受けてなお光り輝けようか!




勃勃還統萬,以宮殿大成,於是赦其境內,又改元曰真興。刻石都南,頌其功德,曰:

夫庸大德盛者,必建不刊之業;道積慶隆者,必享無窮之祚。昔在陶唐,數鐘厄運,我皇祖大禹以至聖之姿,當經綸之會,鑿龍門面辟伊闕,疏三江而決九河,夷一元之窮災,拯六合之沈溺,鴻績侔於天地,神功邁於造化,故二儀降祉,三靈葉贊,揖讓受終,光啟有夏。傳世二十,曆載四百,賢辟相承,哲王繼軌,徽猷冠于玄古,高範煥乎疇昔。而道無常夷,數或屯險,王桀不綱,網漏殷氏,用使金暉絕于中天,神轡輟于促路。然純曜未渝,慶綿萬祀,龍飛漠南,鳳峙朔北。長轡遠馭,則西罩昆山之外;密網遐張,則東亙滄海之表。爰始逮今,二千餘載,雖三統迭制於崤、函,五德革運于伊、洛,秦、雍成篡殺之墟,周、豫為爭奪之藪,而幽朔謐爾,主有常尊於上;海代晏然,物無異望於下。故能控弦之眾百有餘萬,躍馬長驅,鼓行秦、趙,使中原疲於奔命,諸夏不得高枕,為日久矣。是以偏師暫擬,涇陽摧隆周之鋒;赫斯一奮,平陽挫漢祖之銳。雖霸王繼蹤,猶朝日之升扶桑;英豪接踵,若夕月之登濛汜。自開闢已來,未始聞也。非夫卜世與乾坤比長,鴻基與山嶽齊固,孰能本枝于千葉,重光于萬祀,履寒霜而逾榮,蒙重氛而彌耀者哉!


(晋書130-17_文学)




関中三統、崤函五德の内訳が気になりますね。周秦漢、漢魏晋趙燕かな。あと涇陽と平陽の戦いってのも謎。と言うかぼつぼっつぁんは戦争しすぎなのでどれのこと指してんのか絞り切れん……たぶんこの二つの勝戦が、ぼつぼっつぁんにとっては重大な勝利だったんだろうな、とはわかるんだけれど。

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