勃勃3 対後秦軍議
407 年。
上の兄の
下の兄の
側近の
弟については、
その一の
その二の
その三の
その四の
他のものも席次に応じ任官された。
同年
「陛下がこの先お国を運営されるにあたり、最終的に
しかし、
「キサマは物事の一面のみ知り、裏面を知らんのだ! オレの戦いは始まったばかりでロクに兵も揃っておらん! 対する
加えて、いま散らばる戦力を下手に集めて一城を厚くしてみろ! 奴らはこちらを潰せるだけの兵力を束ねて攻めかかってくるぞ、ともなればこちらから勝手に滅ぶようなものだ!
オレたちは雲に乗り風となりて馳せるがごとく、神出鬼没の兵となって奴らの不意をつく! 前に奴らが襲ってきたら前を助けつつも後ろよりも攻め、後ろに襲ってきたらその逆をやる! そうこうしている内に奴らは疲れ果てるも、オレたちは悠然と飯を食らっていられるだろう! そうなれば
あとは姚興が死ぬのを待ち、長安を奪えばいい!
こうして嶺北の諸城に攻撃を仕掛けた。どの城もほぼほぼ抵抗を示さずに降伏した。この事態を受け、姚興は悲嘆に暮れている。
「
義熙三年,僭稱天王、大單于,赦其境內,建元曰龍昇,署置百官。自以匈奴夏後氏之苗裔也,國稱大夏。以其長兄右地代為丞相、代公,次兄力俟提為大將軍、魏公,叱幹阿利為御史大夫、梁公,弟阿利羅引為征南將軍、司隸校尉,若門為尚書令,叱以鞬為征西將軍、尚書左僕射,乙鬥為征北將軍、尚書右僕射,自余以次授任。其年,討鮮卑薛幹等三部,破之,降眾萬數千。進討姚興三城已北諸戍,斬其將楊丕、姚石生等。諸將諫固險,不從,又復言於勃勃曰:「陛下將欲經營宇內,南取長安,宜先固根本,使人心有所憑系,然後大業可成。高平險固,山川沃饒,可以都也。」勃勃曰:「卿徒知其一,未知其二。吾大業草創,眾旅未多,姚興亦一時之雄,關中未可圖也。且其諸鎮用命,我若專固一城,彼必並力於我,眾非其敵,亡可立待。吾以雲騎風馳,出其不意,救前則擊其後,救後則擊其前,使彼疲於奔命,我則游食自若,不及十年,嶺北、河東盡我有也。待姚興死後,徐取長安。姚泓凡弱小兒,擒之方略,已在吾計中矣。昔軒轅氏亦遷居無常二十餘年,豈獨我乎!」於是侵掠嶺北,嶺北諸城門不晝啟。興歎曰:「吾不用黃兒之言,以至於此!」黃兒,姚邕小字也。
(晋書130-3_政事)
ここでの話は赫連勃勃の戦上手ぶりを……と言いたいところなんですが、「いや誰だよプリミティブ匈奴に漢人の戦い方そそのかしてるバカ」みたいなところがありますね。自分から軽騎国家の美点を潰しにかかるとかさ、そりゃ、ぼつぼっつぁんにしたって「おめー俺に滅べってのか?」ってツッコみますわ。ただしぼつぼっつぁんの「卿徒知其一,未知其二。」は劉邦のネタ。この人教養もきっちり持ってらっしゃる。
Google Earthでオルドスの地形を見てみたんですが、なんですかあの目の粗いヤスリみたいな地形。農耕型、都市型生活なんてムリゲーにもほどがあります。いや騎馬民族らにとっても住みよい地じゃなかったんじゃとは思いますが、その分木材は豊富でしょうし、いくらでも隠れる場所があるぶん機動力のある軍にとっては天国でしょうしで、そりゃ平たい土地の民であるところの漢人じゃあんなとこ支配できませんわと納得したものです。ここでもぼつぼっつぁん、オルドスを庭のように駆け巡ってますもんね……こんなんが頭上を駆けずり回るとか、ちょっと地獄すぎませんかね……?
あと兄弟の名前読めなさすぎわろた。
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