4. 歴史の真実

「エリシュナさん……エリシュナさん!」

「大丈夫。ちゃんと聞こえるよ」


 エリシュナはゆっくりと目を開く。

 宝石のような紫紺の瞳。

 ただただ美しいとしか形容できず、見つめていると引き込まれてしまいそうになる。


 ずっと身体を動かしていなかったため、まだ起き上がることすらままならないはずだ。

 それでも彼女はフラつきながらも、必死に身体を起こそうとする。


「ちょっ、慌てなくてもまだ横に——」


 ギュッ。

 エリシュナは僕を優しく包み込むように抱きしめた。

 いい匂いがする。

 それに温かい。

 人肌の温もりもそうだが、抱きしめられるという行為そのものに、心がそう実感している。


「辛かったよね。本当に今日までよく頑張ったね」

「ぇ、あ……ぁう」


 何だろう。

 視界がすごくぼやけて見える。

 おかしいな。


「泣いていいんだよ。我慢しなくていいからね」


 泣くなんて……僕は男だよ?

 そんな……こと。


 僕の目は既に涙で溢れていた。

 頬をつたり、ぽたぽたと雫が零れ落ちる。


「ぅぁぁぁぁぁあ……ぇぐ……ぁぁぁぁ」


 言葉にならない声を上げて、僕はひたすら泣き叫んだ。


 魔術が使えないという辛辣な事実を伝えられたこと。

 両親からの失望。

 メイドたちにも迷惑をかけた。

 妹ライカにもダメな兄の姿を見せてしまったし。

 国中の魔術師たちに情けないやつだと思われただろう。


「よしよし……。約束通り私が魔術を教えるから。だからもう一度立ち上がろう。周りに信用できる人がいなくなっても、私だけはあなたの味方だから。ずっとそばにいるから」


 エリシュナの言葉は傷んだ心を癒すように、スッと染み渡る。

 泣くことに必死で今は言葉にならない。


 僕もエリシュナに腕を回して、ギュッとする。

 彼女がかけてくれた言葉に応えかけるように。



 ◇



 どれくらい時間が経ったのだろう。

 ずっと我慢していた涙を流し切ったことで、腫れ物が落ちたような気持ちになった。


「ちょっとはすっきりしたって感じかな?」

「はい。気持ち的にもだいぶマシになりました。エリシュナさんのおかげで」

「……エリシュナ。そう呼んで欲しいかな。敬語も不要だからね」

「えぇ?! わ、分かったよ……エリシュナ」

「うんうん!」


 彼女はとても満足気だ。

 確かにちょっと他人行儀すぎたかな。

 こんなことで喜んでもらえるならそう呼ぼう。


「そう言えば、あなたの名前を聞いてなかったわね」

「僕はアルス・ゼクシア……いえ、アルスです」


 もう僕はゼクシア家の人間じゃない。

 それを自分でも言い聞かせるようにあえて言い直す。


 ……あれ。

 エリシュナの様子が少し変だ。

 小刻みに震えているように見える。


「そう……。アルスはゼクシアの……」


 その言葉の真意は分からなかった。

 きっと彼女の中で何か合点がいったのだろう。

 聞いていい話なのか迷った末、僕は質問を変えることにする。


「あのさ、エリシュナはどうしてこんなところにいるの? それに『無の大賢者』って言ってたよね?」

「そうね。私のことを話す前に、今の時代の話を聞きたいかな。魔神王との戦いから今までのことを……」


 そこから僕は話し始めた。

 長い長い歴史の物語。

 大人から子供まで皆が知っている、魔神王討伐の話を。

 魔術師の憧れの象徴である英雄『五聖賢者』の話を。

 マナシエル帝国建国の話を。

 そして【魔術皇帝】の予言の話と、僕が『雷の賢者』の子孫であることを。


 エリシュナは途中まで大人しく聞いていたが、最後の方になると目を赤らめ涙ぐんでいた。


「エリシュナ? どうしたの?!」

「……っ、ううん。だ、大丈夫」


 大丈夫な訳がない。

 先程まで毅然きぜんとしていた彼女があからさまにショックを受けているように見える。

 僕は無意識にゆっくり腕を伸ばし、彼女の瞳から流れる雫を拭う。


「ふふ。アルスは優しいね。……ちょっと恥ずかしいけど」

「あ、い、いや! 咄嗟に手が出ちゃってごめん」

「ううん、嬉しかったから。アルスの手、温かいね」


 エリシュナは静かに目を閉じて、深呼吸を一つ。

 そして目を開き、話を続ける。


「あのね、すごくびっくりさせちゃうかもしれないけど。これから話すことがこの世界で起こった真実なの。……聞いてくれる?」

「もちろん……」


 今度はエリシュナが話す。


 かつて『魔神王』が侵略して来た際に、立ち上がった賢者はだったこと。

『五聖賢者』たちは魔族の大軍に怯え、戦いを完全に放棄したこと。

 彼らの功績だと語られている話は、全て『無の大賢者』が一人でしたこと。

 魔力のほとんどを使い切ってしまい『魔神王』を倒せず、封印することしか出来なかったこと。

『五聖賢者』は戦争中に、魔族側へと寝返っていたこと。

 完全に魔力を使い果たし憔悴しているエリシュナに、最後まで仲間だと信じていた『五聖賢者』が牙を剥いたこと。

 自分の身を守るために、生命力を魔力に変換してまで《結界魔術》を使ったこと。

 そして、その裏切りの首謀者が『雷の賢者』であること……。


「そんな。まさか……」


 僕の話を聞いてエリシュナが涙したのも当然だ。

 讃えられるべき彼女の存在が消され、裏切り者たちが英雄となっているのだから。

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