2. もう誰も信じたくない

 父様と一緒に屋敷へ戻ると、僕のために祝いの席が準備されていた。

 入り口は華やかに飾られ、奥の部屋から香ばしく焼かれた肉の香りが漂う。

 どうやら今日のために、メイドたちが寝る間も惜しんで準備してくれていたらしい。

 申し訳ない気持ちでいっぱいになる。


「こんなもの中止だ! すぐに片付けてしまえ!」


 帰るなり飛び交う怒号にメイドたちも怯える。


「あなた、一体どうしたのですか? アルスは……」

「あやつは……もはやワシらの子ではない」


 冷たく言い放つその言葉は、僕の心に深く突き刺さる。

 いつも優しく、どんなことがあっても僕を抱きしめてくれた母様ならきっと分かってくれるはず。


 そんな淡い期待を抱いたが、完全に間違いだった。

 父様から事情を聞いた母様は、静かに立ち上がると僕に向けて雷の魔術を生成する。

 青白い稲光が母様のか細い右手からほとばしる。


「お前は何のために生まれたのか、この恥さらし! いっそ消し炭にしてやるわ!」


 怖い……母様が怖いよ。

 鋭い目付きで睨まれ、僕は固まってしまう。

 向けられる目が、声が、言葉が容赦なく僕をどん底へ突き落とす。


「やめておきなさい。こやつにはその価値すらない」


 父様は懐から布袋を乱雑に取り出し、床に投げ捨てる。

 じゃらんと金属音が響き、数枚の金貨が顔を覗かせた。


「父様……これはどういう?」

「父様だと? うちの子はライカだけだ。お前は誰だ?」

「何を言ってるんですか……父様?」

「黙れ! さぁこれを拾って出て行け! クズはいらん!」


 またもや怒声が響く。

 動きたい。

 でも恐怖で体が思うように動かない。

 声を上げたくとも、これ以上言葉が出て来ない。


 立ち往生していると、奥の扉が開き妹のライカが顔を覗かせる。


「兄……様? どうされたのですか?」

「ライ……カ……」


 こんなみっともない姿を、可愛い妹には見られたくなかった。

 この場から一秒でも早く逃げ出したい衝動に駆られるも、僕の足はまだ動こうとしてくれない。


「いや、待てよ。お前は世間に顔が知れている。いっそのこと顔に火傷を負わせた方が別人に見えるな」

「あなた、それはとても名案だと思いますわ」


 いくら魔術が使えないからって、そんな非道な仕打ちを我が子に向けてしようとするなんて、どうかしている。

 口で脅そうとしているだけに違いない。

 そう思っていたのだが——


 父様は不気味な笑みを浮かべ、炎の魔術を発動する。

 掌の上で荒々しく燃え上がる炎の玉から、まるで全身を焼き尽くされるかのような恐怖を感じる。


 本気だ。

 この人は本気で僕のことを……。

 殺されるッ!


「っ、ぅ、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああ!!」


 動け、動け、動けよ!!!

 もう逃げ出すことしか頭にない。

 ガクガク震え這いつくばりながら、床に散らばった金貨袋を拾い上げ、僕はただひたすら必死に逃げ出した。



 ◇



「うぅ……ぅっ――」


 未だに信じられない。

 あんなに優しかった父様と母様が……。

 涙が自然と溢れて止まらない。

 これからどこへ行こうか。

 行く先なんてない。

 走り続けて、どこへ向かうわけでもない。


 もしかすると、ただ悪夢を見ているだけじゃ?

 起きたらふかふかのベッドの上で、父様と母様が優しく『おはよう』って声をかけてくれる。

 きっとそうに違いない。

 事実を認めたくなくて、現実から目を背けたくて、僕はそう思い続けた。

 

 でもやはり目は逸らせない。

 やり場のない虚無感が夢ではないと告げている。

 帰る場所も、迎えてくれる人もいない。

 もう信じられるものなんて何もない。

 世界一の魔術大国で魔術の使えない僕の存在に、価値なんてない。


 そして僕は、こんなことならいっそ死んでしまった方がいい……という結論に至った。


 そんな僕におあつらえ向きな場所が一箇所だけ存在する。

『死霊の森』と呼ばれ、危険すぎるため現代に至るまで『五聖賢者』が足を踏み入れることを禁じてきた森林地帯だ。


 今では興味本位で足を踏み入れる物好きすらいなくなっており、警備もいない。

 そのため、入るだけなら簡単だ。

 ただ一度足を踏み入れてしまえば、二度と出られないと思っておいた方が良い。


「構うものか。今の僕にはもう……失うものはない」


 こうして僕は『死霊の森』へ向かう。

 道中すれ違う人から、顔を見られると度々ひそひそと話をされる。

 ゼクシア家が帝国一有名な一族だからこそ、僕の検査結果と追放処分を受けた事実は既に知れ渡っているようだ。

 

 それでもまだ言葉だけなら耐えれた。

 心を無にして、無視してしまえばいいのだから。

 辛かったのは物理的に殴られたり、石を投げつけられたりすることだ。

 痛いし、血が出る。

 仕返したくても、魔術が使えない以上どうやったって勝てない。


「情けねぇな、クズが! ギャハハハ!!」

「こんなやつが『雷の賢者』様の血筋なんてぜってぇ嘘だろ」

「ゴミはゴミ箱に捨てねぇとなぁ。汚ねぇ!」


 ドカッ、バキッ、ガスッ……。

 もう痛いのは嫌だ。

 本当に誰も信用出来ない。

 信用したくない。

 早く辿り着きたい。

 僕の終着点へ。


 ヨロヨロと歩き続けて二週間。

 僕はようやく『死霊の森』に辿り着いた。

 ろくに飲まず食わずだったのに、道中倒れなかったのは奇跡的と言わざるを得ない。

 自分で決めた最後の場所だからこそ、諦めずに辿り着きたい。

 その気力だけで、僕はやり遂げたのだ。


 入り口付近だと、万が一見つかる可能性がある。

 もう少し奥地へ行って、目立たないところで息絶えよう。

 そう考え足を踏みいれる。


「助け……て……」


 さすがに疲労困憊らしい。

 幻聴が聞こえるようになって——


「助けて……お願い!」


 それは可愛らしく、そして弱々しい少女の声。

 間違いなく聞こえている。

 しかも頭の中へ直接語りかけるように。


 人のことを心配している余裕はないはずなのに、何故か妙に気になってしまう。



 失意のどん底にいる僕が、まさかこの場所で出会う少女によって人生を百八十度変えられることになるとは……。

 この時は知る由もなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る