第3話「シスター・リーチェの困惑」

 酒場の空気が、一瞬で凍り付いた。

 そして、激震に揺れる。

 激しい振動の中で、転がり込んできた男が再度叫んだ。


「モンスターだ! 自警団の連中が戦ってる! 誰か助けてやってくれ!」


 酒場には多くの冒険者がいた。

 その大半が、武器を手に立ち上がる。

 急いでリーチェも続こうとしたが、その時だった。

 よく通る声が静かに響き渡る。

 それは、口元を行儀よくナプキンで拭くラスティだった。


「皆様、参りましょう。民の危機を見捨てては……勇者の名折れというものです」


 作って飾った声だった。

 先程の粗野で乱暴な口調ではない。

 女装勇者ラスティは、本当にお姫様のような声で立ち上がる。

 すぐ側に控えていたアゼルが、ゴホン! とわざとらしい咳払せきばらい。そうして、酷く気取った様子で朗々と語り始めた。


「皆々様! こちらはロゼリアル王国の王女、ラスティナーデ・ルナ・ロゼリアル殿下であらせられますぞ! 殿下は魔王を倒すため、戦うお覚悟で旅をしておられるのです!」


 思わずリーチェは「はあ?」と声が出てしまった。

 美少女(自称)がしてはならない顔になった。

 だが、例のバカでかい剣を背負いなおすと、ラスティは優雅に歩き出す。

 慌ててリーチェは追いかけ、扉の前でそでを引っ張った。


「ちょ、ちょっと! 何考えてるのよ! 不敬なんてもんじゃないでしょ!」

「あぁ? るせーな、妹は怒らねえよ。……もう、怒れないからよ」

「へっ? 妹、さん? それって」


 キリリと引き締めた横顔に、ラスティは一瞬の悲哀ひあいを浮かべた。

 そして、そのまま外へと静かに歩み出る。

 続いてリーチェが飛び出せば、風圧が彼女を襲った。

 巨大な影が頭上で翻り、おぞましい絶叫が響き渡る。

 振り返って見上げると、翼を羽撃はばたかせるモンスターと目が合った。


「あ、あれは……ワイバーン!」

「へえ、あれがねえ。っし、片付けるか!」

「ちょ、ちょっとラスティ! あーもぉ、待ちなさいよ!」


 逃げ惑う人々の中、ラスティが背の剣を抜いた。その重さによろけつつ、彼は両手でよいしょと得物を構えた。

 その姿を見て、後から出てきた冒険者たちがどよめく。


「おお……やはりラスティナーデ王女殿下! うわさは本当であったか!」

「俺も聞いたことがあるぞ! 大賢者が予言した、二人の勇者!」

「一人は美しき姫君、そしてもう一人は異世界より現れし快男児ナイスガイ!」

「勝てる、勝てるぞ! 皆で殿下を援護だ!」


 そういえば、リーチェも旅人に聞いたことがある。

 魔王の軍勢に脅かされた王国に、救世主が現れたと。

 男と女、二人の勇者が立ち上がったというのだ。

 その一人がラスティということだが、


「キミ、男……だよね? ま、ああでも、今はそれよりっ!」


 気を取り直して、リーチェは精神力を集中させる。

 信仰心を燃やすように、祈りと願いを力へと変えた。

 修道女シスターの装束が光にはためき、彼女の全身が輝き出す。あっという間に、祝福の力がラスティを包み込んだ。


「おっ? なんだこりゃ」

「なにって、援護の術でしょ! キミ、体力ないんだから! これで少しは」

「なるほどな! こりゃいい、身体が軽いぜ……うおおっ、ブッ倒す!」

「ちょ、ちょっとお! 言葉! ほら、みんな見てるから!」


 勇猛果敢ゆうもうかかんというよりは、まるで猪武者いのししむしゃのような絶叫が響き渡る。

 その声を訝し気に思った冒険者たちもいただろう。

 だが、ワイバーンは一匹ではない。

 あっという間に乱戦状態になり、誰もが前の敵しか見えなくなる。

 そして、ラスティはすで清楚せいそな王女の姿を脱ぎ捨てていた。


「いっくぜえええええ!」


 ラスティが地を蹴り、重力を無視して飛ぶ。

 恐るべき胆力たんりょく、そして膂力りょりょく

 だが、ワイバーンの群は自由自在に空を舞う。一時的に上を取れても、ラスティの剣は空振りするばかりだった。

 冒険者たちも弓を使える者、魔法を使える者が前へと出てくる。

 すぐにリーチェも、回復魔法を用意しつつ叫んだ。


「えっと、アゼルさん、でしたよね! 攻撃魔法をお願いします! 援護を……って、あれ?」


 そこに、胡散臭うさんくさ淫蕩いんとう魔法使いの姿はなかった。

 髭面ひげづらのローブ姿は、どこにもなかったのである。

 すぐにリーチェは察した。

 ! と。

 そして、そのことを責めて問い詰める余裕もない。本人がいない上に、リーチェも頭上からの牙と爪から逃げねばならない。

 当たり前だが、修道女であるリーチェには攻撃魔法がなかった。

 攻撃する手段としては、魔法は選択肢にないというのが実情だったのだ。


「あのオッサン、なんなのよ! ちょっとラスティ、キミの仲間ってサイテー!」

「ん? ああ、気にするな! 戦えぬ者の分まで戦うからこそ、勇者じゃねーか!」

「そりゃ、そうだけどー! ……ワイバーンって結構単価安いのよ。ギルドの今週の相場じゃ、一匹500イェンくらいだもの!」

「また金の話か、リーチェ! クソッ、ちょこまかと飛び回りやがって」


 冒険者たちも苦戦していた。

 ワイバーンは頻繁に出没するモンスターで、数が少なければそれほど危険ではない。適度に追い払って逃げればいいのである。

 だが、この宿場町しゅくばまちを襲ってきた群は、かなりの数だ。

 リーチェにとっては単価の安い相手だが、見過ごすわけにもいかない。

 さりとて、高速で飛び回るワイバーンには手を焼くほかなかった。

 周囲の冒険者たちも、口々に悔しさを叫ぶ。


「クソッ! 生半可な弓じゃ届かねえ!」

「魔法でも追い切れないぜ!」

「誰か、もっとデカい弓を持ってる奴はいないのか!」


 その時だった。

 不意に空気が、真っ二つに叫んだ。

 あらゆる音を切り裂く絶叫は、小さく響いた風鳴りだ。

 そして、突然……ワイバーンの一匹が絶叫と共に落ちてくる。その翼には、大きな穴が開いているた。誰かがた矢が、空気の刃を伴い貫通した証拠だった。

 その威力に、ワイバーンたちが動揺してスピードを落とす。

 すかさずラスティは、落ちてきた一匹に全力の一撃を振り下ろした。


「へっ、遅ぇよ! けど助かったぜ、キヨノブ!」


 リーチェは、眼光をギラつかせるラスティの先に見た。

 鬼だ。

 モンスター、オーガのような威容が弓を構えている。

 よく見れば、それは鎧武者よろいむしゃだ。

 大弓を構えた、東洋の武者がそこには立っていた。遥か東の海に浮かぶ島国、和国わこくの戦士……サムライだ。

 だが、たくましい体躯たいくの長身は、厳つい甲冑もあって鬼に見えた。

 そう、憤怒ふんぬに燃える修羅しゅらである。

 そのサムライが、今度は一度に十本以上の矢を弓につがえた。


「アニウエ、エンゴ……スケダチ、スル」


 まるで無機質な、全く人のぬくもりが感じられない声だった。

 全身を装甲でくまなく覆った若武者は、一度に複数の矢を空へと解き放つ。

 その全てが、遥か天空でひるがえって驟雨しゅううと注いだ。

 矢の雨が面での包囲攻撃となって、ワイバーンの群れから機動力を奪う。

 その瞬間を見逃す冒険者たちではなかった。

 そして、ラスティは矢が放たれた時にはもうんでいた。


「うおおおおおっ! 死いいいいいい、ねええええええっ!」


 見た目は貞淑ていしゅくな姫君、しかしてその正体は美貌のイケメン、

 しかし、その中に宿したけだものの闘志は、今も真っ赤に燃えている。

 重過ぎる剣を振るって、防御を捨てて全身を浴びせるラスティ。一匹、また一匹とワイバーンは地べたに赤い染みとなって沈黙した。

 そして、先程キヨノブと呼ばれた鎧のオバケは、弓を捨ててかたわらに突き立てた槍を取る。騎士が馬上で使うランスではない……巨漢のキヨノブよりも長い、よくしなる槍だ。

 キヨノブは空を奪われたワイバーンを駆逐しつつ、リーチェの近くにやってくる。


「うっわ、えぐ……え? ア、アタシを守ってくれるの?」

「オマエ、ナカマ。アニウエ、オマエ、マモッテル」

「いや、あれはさあ……そ、そうかな?」

「ソウ、ダゾ」


 どうにも、キヨノブの言葉には感情が感じられなかった。

 だが、リーチェは言われて気付く。

 でたらめにワイバーンと切り結んでいるように見えて、ラスティはリーチェの周囲を優先して守ってくれていた。

 その彼が、肩で息をしながら振り返る。

 外傷がなくとも、かなり体力を消耗しているようだった。

 その時自然と、リーチェは王国の姫君を演じる少年に猛ダッシュで駆け寄るのだった。

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