第2話「シスター・リーチェの欲望」

 その少女の名は、リーチェ。

 とある片田舎かたいなかの教会で修道女シスターとして暮らす17歳である。

 今回、をもって故郷をあとにした。

 特技は料理洗濯、家事全般……そして回復魔法。

 傷をいやして病魔を払う、シスター。リーチェとは彼女のことだ。


「と、いう訳でっ! 全額なんて貰えま、せんっ!」


 ドンッ! とリーチェは、テーブルに革袋を置いた。

 ここは街道沿いの宿場町しゅくばまち、その酒場である。目くじら立てて叫ぶ彼女も、喧騒の中ではさえずる小鳥のようなものだった。

 怒鳴るように笑う男たちと、歌と踊りと。

 真昼間から酒が行き交い、誰もが陽気に騒いでる。

 そんな中で、向かいに座る女性からは通りの良い声が響いた。


「なんだよ、金がいるんじゃねえのかよ。いいから貰っとけって」


 その声をよく聴けば、気付く者は気付くだろうか?

 瑞々みずみずしく音楽のような響きだが、声変りを忘れた少年のものだ。

 言葉も乱暴なものだが、不思議と誰の耳もとらえて離さないだろう。

 自称女勇者のラスティは、金貨がパンパンに詰まった革袋を押し返した。

 だが、リーチェだってハイソウデスカと頂戴ちょうだいする訳にはいかない。


「あのね、キミ! あのケルベロスはキミが倒したんでしょ? アタシ、なにもしてないわ!」

「なるほど、そりゃそうだ。それじゃあよぉ、獲物ちゃん」

「リーチェ! アタシにはリーチェっていう立派な名前があるの!」


 親からもらった名前じゃないけど。

 リーチェは教会の前に捨てられていた赤ん坊だった。それを司祭が拾って、運営する孤児院で育てたのである。

 でも、貧しくとも懸命に生きたし、すこやかに育ったつもりだ。

 今ではシスター・リーチェとして孤児院を支える側になっている。

 正確には、孤児院で働いていたと過去形で語るべき現状だが。

 そんな訳で、むーっ! とリーチェがにらむと、ラスティは鼻を鳴らした。

 そして、予想外な言動で身を正す。


「獲物ちゃん、いや、リーチェ。お前の言うことは一理ある。金が入用いりようと聞いてほどこすつもりだったが、非礼だったな。びるぜ、ごめんなさい!」


 頭を下げられた。

 思わずリーチェは、目が点になる。

 なんだか、急にラスティの気配が年相応の少年のものになったのだ。


「ちょちょ、ちょっとぉ! やめてよもう……ほら、顔をあげて! いいから!」

「わかった、謝罪を受け入れてくれるか?」

「はいはい、受け入れます! 受け入れますから!」

「なら、そうだな。この金は半分に分けようぜ。半分だけなら受け取ってもいいはずだよな。リーチェがケルベロスに対峙してなければ、俺様は獲物を見つけられなかったんだからよ」


 無造作にラスティは、革袋の中身を机の上に出した。

 小さな山になる黄金色ゴールドの輝きに、その音に酒場中の者たちが視線を向けてくる。

 その額、60,000イェン……これは、リーチェの村なら一カ月は遊んで暮らせる額である。

 思わずゴクリとのどが鳴った。


「じゃ、じゃあ、半分だけ貰うわね! は、半分、だけ」


 両手でそっと、金貨の山をざっくり半分ほど手前に寄せる。

 この時すでに、リーチェは自分が修道女だということを忘れつつあった。勿論もちろん、そのモノクロームのいでたちが、今この瞬間どう客たちに見られてるかも気付かない。

 生臭なまぐさシスターここにあり、といった様相である。

 しかも、あっさり欲望に負けていた。


「あ、あと、ん……さっきの回復魔法の分、ちょっとだけ色付けてね」

「色を付ける? 金に色があるのか? これは王国の発行する一番の貨幣かへいじゃねえか」

「そういう意味じゃないの! オマケしろってこと!」

「なるほど、いいぜ? 俺の目に狂いはねえ、立派な回復魔法だったからな」


 このラスティと名乗る少年、妙だ。

 女装の変態ということはさておき、見聞きした限りでは全く男と気付けない。あまりにも端正な美貌は細面ほそおもてで、大きな瞳には星の海が輝いていた。長く伸ばした金髪はサラサラで、まるでお姫様である。

 だが、それだけではない。

 年頃の男児としては、せ過ぎてるのだ。

 だから、女装で細身の女勇者になってしまうのである。

 さっきなど、戦闘後にへばって立てなくなってしまったのだ


「キミさ、なんでそんなに体力ないの? 凄いパワーとスピードだったじゃない」

「ちょいと訳ありでな。だから、お前みたいな術師を探してたんだ」

「キミの物になんかなりません! まったく……あ、でも、そうね」


 金貨の山は、まだそこにある。

 そして、この大金を前にしてもラスティは興味がないようだ。


「ま、じゃあ……仮契約ってことでどう? 少し考えるとして、その間の……そ、そうね、滞在費として」


 また少し、ラスティの前から金貨をズズズと手前に移動させる。

 やはりラスティは、動じた様子がなかった。


「いいぜ、労働には対価が必要だ。それで、考えておいてくれや……俺様のパーティには、どうしても回復の術師が必要なんだ」

「まったく、そういう話ならそういえばいいんだわ。なによ、俺様の物になれなんて」


 自分で口にしてみて、恥ずかしくなる。

 なんだかほおが熱い。

 そして、うつむく自分をラスティは不思議そうに真っ直ぐ見てくる。

 どこまでも純真なそのまなざしに、リーチェは顔から火が出そうだった。

 そうこうしてると、先程注文した料理が運ばれてきた。二人にとっては少し遅い朝食である。そばかす顔のウェイトレスがあごをしゃくるので、ラスティは無造作に自分の前の金貨を脇に寄せた。

 慌ててリーチェも、自分の取り分を財布にしまう。

 テーブルに香ばしい匂いが満ちて、土鴨ドガモの香草焼きが置かれた。


「おっ、美味そうじゃねえか。よし、待ってろリーチェ」

「えっ、ちょっとなによ」

「なに、聖職者は刃物が持てねえからな。それでなくても、御婦人にゃあ親切にしてやるもんだぜ」

「……ね、ねえ、ちょっとさ……キミ、気持ち悪いんだけど」


 ラスティはナイフとフォークを手に取ると、肉を切って取り分けてくれた。

 どうやら不器用な上に不慣れらしく、見てて落ち着かない。

 そして、リーチェは妙な違和感を抱く。

 かつては教会の力が強く、聖職者の権力は絶対だった。そこでロゼリアル王国は、聖職者たちに刃物の所持と使用を禁じたのである。しかし、危機の都度つど教会は回復魔法の使い手を求められたため、鈍器……メイスやモーニングスターで戦ったという。

 それがすでに、百年以上も前の昔話だ。

 その証拠に、リーチェは毎日台所に立っていたが、刃物の使用をためらったことがなかった。とっくに過去の遺物となった価値観なのである。


「ったく、いつの時代の人間かっての」

「よーしっ! ほらよ、食え!」

「はいはい、ありがとーございますー! ……割り勘でいいわよね?」

「ん? なんだそれは。いいから冷めないうちに食うぞ! いただきます!」


 挨拶だけはしっかりしたもので、ラスティは行儀よく食事を始めた。

 よく見れば随分と丁寧でマナーがよく、粗野な言動とのギャップがどうにも滑稽だ。しかも、よく見れば自分の皿には少ししか肉を取り分けてないのだ。

 リーチェと同世代なら、食べ盛りのわんぱくな年頃の筈だが。

 そのことをいぶかしく思いつつ、食事前に祈りを捧げようと手を組んだ時だった。

 不意にすぐ背後で声がした。


「やあやあ、殿下。これはお邪魔虫でしたかねえ」


 振り返るとそこには、身なりのみすぼらしい男が立っていた。すりきれたローブは、どうやら魔術師のようである。リーチェたち聖職者の回復魔法とは、別系統の術を使う者たちだ。

 髪はボサボサ、ひげも伸び放題。

 その上、なんだか少し臭う。

 年の頃は五十代ほどで、赤ら顔は酒を飲んでいる証だった。

 だが、その男を見やってラスティは平然としている。

 先ほど彼が言っていた、じいやとはこの男のことだろうか。


「アゼルか。お前の言った通り、回復魔法の使い手を見つけてきたぜ」

「それは重畳ちょうじょうですなあ。で、そちらの金貨は」

「ああ、俺様の獲物を横取りしようとした駄犬だけんがいてよ。ちょいとブッタ斬ってやったんだ」

「ははあ、なるほど。えー、でしたら、ええ、ええ。折り入って相談が」


 どうやら二人は顔見知りのようだ。

 だが、胡散臭うさんくさい男をリーチェが横目ですがめていると、


「殿下、少し軍資金をお貸し頂けないでしょうか」

「おう、金か? いいぞ」

「では、遠慮なく」

「この間の金はどうした。財布ごと預けてあるだろうがよ」

「いえ、それがですね……酒と女で消えかけたので、博打ばくちにて増やそうと思い……いやあ、カードはどうにも難しいものですな!」


 駄目だ、早くなんとかしないと。

 このアゼルという男、仲間かもしれないがまともな人間じゃない。駄目人間の臭いがプンプンする。もしラスティのパーティに参加するとしても、こんな人間と一緒はいささか遠慮したい。

 見かねてリーチェが口を挟もうとした、その時だった。


「たっ、たた、助けてくれーっ! モンスターだーっ!」


 突然、酒場の入り口に怪我人が駆け込んできた。

 その必死の形相は、もう一度店内の全ての音をかき消して叫ぶ。

 、と。

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