女勇者は王子様!?

ながやん

第1話「シスター・リーチェの受難」

 乙女おとめは恐怖した。

 巨岩のごとくそびえるモンスターを前にして。

 それでも彼女は、リーチェは震える脚で立っていた。

 逃げなかったのはすくんでいるからじゃない。


「こっ、こここ、これが……本物のモンスター!?」


 リーチェは田舎いなかの孤児院で育った修道女シスターである。

 殺気も露わなモンスターに遭遇するなど、初めてであった。

 だが、自分から挑んだのだ。

 賞金首ウォンテッド危険種カテゴリーD、ケルベロスへと。

 ケルベロスは最近、この街道に出没する危険度Aランクのモンスターである。三つ首の獰猛どうもうな犬のバケモノだ。ギルドの賞金は今週に入って、二倍の60,000イェンに跳ねあがっている。

 今、リーチェは理解した。

 ちょっと回復魔法が使える程度の子供には、全く歯が立たない強敵なのだ。


「とっ、とととと、とにかく、おおおお落ち着かないと。……スーッ、ハァ――!」


 逃げるという選択肢は考えられなかった。

 どうしてもまとまった金が必要だ。

 それに、まだまだ全然、これっぽっちも絶望を感じない。

 身体が強張こわばるのは、犬のバケモノと聞いてせいぜい子牛くらいを想像していたからだ。

 大きく深呼吸して、長杖ロッドを捨てるや手と手を組む。

 そうしてリーチェは、迫る死を前に祈りをつぶやいた。


「大いなる我らが父よ、禁忌きんきを冒す罪をお許しください」


 ケルベロスが絶叫の三重奏で吠えすさぶ。

 荒野の一本道で、空気が戦慄に凍った。

 同時にリーチェも、カッと目を見開く。

 頭を覆うウィンブルの上で、ベールが激しくはためいた。

 だが、奥の手を叫ぶ前に突然……高らかに笑い声が響く。


「アーッハッハッハ! フ、フフフ……獲物を見付けたぜぇ!」


 振り返ると、逆光の朝日を背にマント姿が立っていた。

 御丁寧ごていねいに、街道沿いで朽ちた馬車の荷台に仁王立ちである。

 まだ若い女、それも同世代の少女に見えた。

 突如として現れた少女は、背負った巨大な剣を抜き放つ。そのまま飛び降り、着地して少しよろけたが身構えた。


「よーしっ! 待ってろよ……まずはコイツを始末してやっからよぉ!」


 やけに粗野で横柄おうへいな言葉だ。

 それがまた、中性的な造形美ハンサムに不思議な魅力を感じさせる。

 どこか線の細い容姿を裏切る、とても頼もしく太々ふてぶてしい声だった。

 彼女は大剣引き絞るや、身を屈める。

 そして、引きずる切っ先で地面を削りながら走り出した。

 思わずリーチェは叫んだ。


「ちょ、ちょっと! ねえキミ! アタシより前に出ない――」

「るせぇ、黙ってろ! 獲物は絶対にっ、渡さねえええええええっ!」


 思わず止めようとしたが、遅かった。

 否、リーチェが遅い訳ではない。

 

 あっという間にふところに入って、刃を振り上げる。

 瞬間、悲鳴が響き渡った。


「キャウン! クゥーン!」

「っしゃあ! やったぜ、ハァ、ハァ……ッグ! もぉいっちょーっ!」


 ただの一撃で、巨大なケルベロスの首が一つ飛んだ。

 それがまだ、血飛沫ちしぶきの舞う青空に浮かんでいるうちに……さらに横薙よこなぎの一閃いっせんが走る。

 あっという間に、二つ目の首が切断された。

 まるで貴族の玉突き遊びビリヤードみたいに、二つの首は落下中にぶつかりあべこべの方向に飛び散る。リーチェは、まるで夢を見ているような錯覚におちいった。

 勿論もちろん、悪夢だ。


「な、なな……なんてことしてくれるの! アタシの賞金首! お金が!」

「ああ? なに言ってんだ、お前。貴重な獲物を簡単にくれてやるかよ!」


 冒険者の中には、無頼ぶらい無法者アウトローも多いと聞いている。

 それは昨日までは、神に仕える修道女には無縁の世界だった。

 だが、今は目の前、そして今日から日常である。

 女剣士はニヤリと、美貌を裏切る笑みを浮かべた。


「いいからそこで見てろっ! ……チィ、こいつ! まだ死なねえか」


 左右二つの首を失い、そこから真っ赤な翼が羽撃はばたいていた。

 鮮血をまき散らし、ケルベロスは中央の首だけで怒りにうなる。

 その口が天地に開かれ、喉奥から紅蓮ぐれんの光が込み上げてきた。


「しぶてぇ野郎だぜ。さっさと逃げりゃいいのによ」

「それ、困るわ! 逃げられたら賞金がもらえないもの!」

「あ? なんだ、金かぁ?」

「そうよ、お金よ!」

「俺様はっ、金はいらねえ! 欲しいのは――」


 ガン! と大剣を肩にかつぐや、振り返った女剣士はリーチェに突進してきた。そのまま体を浴びせるようにして押し倒される。

 刹那せつな、女剣士の残像が炎に飲み込まれた。

 ケルベロスが放った業火が、周囲を薙ぎ払うように頭上を通過する。


「オイオイ! なにかと思いやぁ、火ぃ吹きやがったぞ!」

「当たり前でしょ! ケルベロスなんだから!」

「お、そういや聞いたことがあるな! じいやの話通りだぜ」

「もぉ、なんなのキミ!」

「ん? お前……俺様のことを知らないのか?」


 地獄の獄炎インフェルノが通り過ぎるや、ぐいとリーチェは抱き上げられた。そのまま腰に腕を回され、さらなる密着に驚き息を飲む。

 細腕が嘘のような、物凄い力だ。

 そして、そのまま立ち上がった女剣士は片手で剣を振り上げた。


「っし、いくぜトドメェ! 喰らってぇ、寝てろぁぁぁぁぁぁ!」


 力任せに、鉄塊てっかいのような剣がブン投げられる。

 その時にはもう、リーチェは風をはらんでせた。

 女剣士は、リーチェを抱えたままでケルベロスへと突進。

 投擲とうてきで深々と突き刺さった剣を、跳び蹴りで押し込んだ。

 流石さすがのケルベロスも、断末魔だんまつまの絶叫と共に崩れ落ちる。


「うそ、信じられない……キミ、いったい」


 リーチェは返り血から守られながら、優しく大地へ立たされた。

 すぐ間近に、長身痩躯ちょうしんそうくの美少女が微笑ほほえんでいる。

 だが、すぐに違和感を察知し、その正体に気付いた。

 女剣士は軽装で、その胸に触れてみれば……酷く薄い上に、硬い。


「えっ……ちょ、ちょっと、キミ! お、男?」

「あぁ? だったらなんだよ、獲物ちゃん」

「ほへ? なにそれ……獲物ちゃん?」


 思わず自分を指さし、リーチェは首をかしげた。

 たおやかな金髪を風に遊ばせ、女剣士はニヤリと不敵に笑う。


「俺様の名は、ラスティ! 見ての通りの勇者だ、獲物ちゃん」

「獲物、ちゃん。アタシが」

「おうよ! 危うくあの犬コロに横取りされるとこだったぜ」


 彼女が……否、彼が獲物と称していたのが自分だとわかって、リーチェは思わず顔が熱くなった。怒りといきどおりなんだと、自分に言い聞かせつつも身動きできない。

 ラスティはそんなリーチェの両肩に、やや骨ばった手を乗せる。


「お前、俺様の物になれ! お前みたいなのを探してたんだよ!」


 ド直球の要求だった。

 これが、自称女勇者……との出会いだった。

 時は、魔王の軍勢が人類を脅かしていた黄昏たそがれの動乱期。

 リーチェは偶然にも、大賢者が予言した勇者と最悪な出会いを果たすのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る