第5話 人斬り以蔵

 幕末、「人斬り」と称された著名な人物が四人いる。薩摩の田中新兵衛、同じく薩摩の中村半次郎、肥後ひごの河上彦斎げんさい、そして土佐の岡田以蔵いぞうである。

 岡田以蔵は天保九年、土佐郡江ノ口村の貧乏郷士の家に生まれた。

 土佐勤王党の党主である武市たけち半平太に師事し、のちに武市とともに江戸三大道場と言われた鏡心明智流・士学館で桃井もものい春蔵に剣を学んだ。

 土佐勤王党には坂本龍馬も加わっており、岡田以蔵と龍馬とは子供の頃からの顔なじみであったとも伝わる。

 文久二年、土佐藩は朝廷から京都警固の内勅ないちょくを受け、以蔵は武市とともに上洛した。以来、武市の指示に従って、薩摩の田中新兵衛とともに佐幕派人物に対して、斬奸ざんかん・天誅の剣をふるった。「人斬り以蔵」の誕生である。

 ある日、坂本龍馬は京都で以蔵と会い、驚愕した。

 以蔵の顔が異常にやつれ、狂犬のような凄惨の気を放っているのである。

「おまん、このままではいかんぜよ。武市さんも罪なことをするもんじゃ」

「龍馬、何が言いたいとや」

「人殺しばかりしよると、いかんちゃ。人間がダメになるぜよ。殺生なんかよりも、ええことがあるがでよ。わしの頼みをちっくと聞いとおせ」

「頼みとは……?」

「わしの師匠、勝先生の護衛じゃ。偉い先生やき、大威張りで仕事しいや」

 かくして、以蔵は京都に滞在していた勝海舟の身辺警護を引き受けることとなった。

 海舟は以蔵の差料を見て、

「ふうん、これが以前、龍馬から貰ったという肥前忠弘か。いい刀だが、大勢の血を吸ってなかごまで汚れ、切っ先もわずかながら欠けておる。この際、ぎに出すがいいぜ」

「先生、ほいたら、わしのつかう刀が……」

「心配しなさんな。研ぎの間は、これを使ってみな」

 その刀は、なんと勝家で秘蔵していた村正であった。

 海舟が笑いながら言う。

「徳川家に祟る妖刀というに、幕臣のおいらには不思議と親切な刀でな。数カ月前、わが屋敷に賊が討ち入ったが、その村正がカタカタと不気味に鳴ってしらせてくれたのよ。おかげで命拾いしたってわけさ」

 それから、わずか三日後――。

 所用があり、海舟は寺町通りを歩いていた。寺院の塀が延々とつづく。海舟が死角の曲がり角に差しかかったとき、そばにいた以蔵の村正が、カタッと鞘鳴りをした。

「先生、ちっくと待っとおせ」

 以蔵が前に出るや、角から飛び出してきた男が、いきなり斬りつけてきた。それを間一髪、かわすと同時に、以蔵は腰の村正を一閃させた。抜き、即、ざんである。男の頸筋くびすじから血飛沫が噴き上げた。おそろしいほどの斬れ

味であった。

 直後、うしろを見せて逃げていく二人の男の姿があった。賊は三人組だったのだ。

 海舟は二度、村正に助けられたことになる。

 翌日、海舟はあえて以蔵を誡めた。

「岡田君、人を殺すことをたしなんではいけねえよ。先日のような挙動は、以後、改めるこった。そのほうが君の身のためというものさね」

 以蔵は海舟の忠告に苦笑した。

「先生、あんとき、わしがおらんかったら、先生の首はとっくに飛んで、地べたに転がっちゅうが」

 そのわずか一年後、政治状況は一変し、土佐藩主の山内容堂ようどうは陣頭に立って、尊攘討幕派の弾圧に踏み切った。武市半平太ら土佐勤王党はことごとく検挙投獄された。

 以蔵は町人に身をやつして洛中を逃げまわった。たちまち暮らしに困窮し、愛刀の備前忠弘も金に換えた。懐中には匕首あいくち一振りのみ。小ばくちやケチな強請ゆすりなどで、餓えをしのぎ、名前も鉄蔵と変えて無宿者になりきっていた。

 しかし、元治元年の正月過ぎ、以蔵は京都町奉行所に逮捕され、土佐藩の役人によって高知へと移送された。

 翌慶応元年うるう五月十一日、武市半平太は士分として切腹を許されたが、以蔵は同日、無宿者として斬首さらし首の獄門刑に処せられた。

 備前忠弘を手放したとき、以蔵は武士としてのみずからの運命も手放したのかもしれない。

 龍馬は以蔵の悲惨な最期を知ったとき、声を洩らして泣いたという。その龍馬も二年後の慶応三年、京都河原町通りの近江屋二階で、日本の未来を見ぬまま凶刃にたおれた。

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