第2話 逃げの小五郎

「月さま、雨が……」

「春雨じゃ、濡れてまいろう」

 という名台詞で知られる新国劇『月形半平太』のモデルとなった人物は、明治維新の元勲である木戸孝允たかよしこと桂小五郎といわれている。


 三味の音が流れる京都先斗町ぽんとちょう

 その料亭から、一人の武士がふらりと出てきた。月代さかやきをきれいに剃り、すらりとした長身痩躯。整った白皙はくせきの風貌と自若じじゃくたる風情は、いかにも女泣かせという印象を与える。

 酔いましをかねてか、武士は鴨川沿いの道を北へと歩く。身の丈は六尺ほどもあろうか。当時としては頭ひとつ飛びぬけた長躯である。

 途中、商人風の男がすれ違いざま、武士の横顔を盗み見た。二、三歩そのまま歩いて振り向き、通り過ぎる武士の背中をじっと見つめる。

「あのひょろ高いのは、たしか長州の……そうだ、桂小五郎だ。間違いない」

 商人風の男は、新選組監察方の山崎すすむであった。

 監察方とは情報探索、つまり密偵をもっぱらの仕事とする。

 山崎は小五郎の跡をつけた。

 すると木屋町通りに入るや、小五郎の姿は石畳みの路地の奥の料亭へと消えた。そこには、幾松いくまつという名妓がいる。

 ただちに、山崎は壬生みぶの屯所へと走った。

「近藤先生、長州の桂小五郎がいま木屋町通り、幾松のところに一人でおります。るなら、今夜かと」

 新選組局長の近藤勇は、桂小五郎と聞いて眉根を寄せた。小五郎は近藤がもっとも刃を交えたくない男であった。

 というのも、小五郎は江戸三大道場のひとつ「練兵館」で剣豪斎藤弥九郎さいとうやくろうのもと神道無念流を学び、免許皆伝の腕前である。

 しかも、練兵館の塾頭を五年間もつとめている。

 一度、近藤の試衛館しえいかん道場に出稽古に来てもらったことがあるが、まったく歯が立たなかったという苦い思い出があるのだ。

 小五郎の腕に匹敵するのは、沖田総司、永倉新八、斎藤一の三人であろうが、そのときは全員、揃いも揃って京都市中の見廻りに出払っていた。

 ――いたしかたあるまい。

 やむなく近藤は、愛刀の長曾祢虎徹ながそねこてつを手にして腰を上げた。

山崎の先導で木屋町通りの料亭に着くや、近藤は声を張りあげた。

「御用改めである。新選組局長近藤勇、まかり通る」

「ひえーっ、ご無体なことを。しばし、いましばらく、待っておくれやす」

 店の者の制止する声など歯牙しがにもかけず、近藤は三味の音のする奥座敷へと大股で進み、座敷のふすまを荒々しく開け放った。

 すると――。

 黒漆の大きな長持ながもちの前に座し、一人三味を爪弾く芸妓の姿があるきりではないか。

 近藤が問いただす。

「そなた、名はなんと申す」

「へえ、うちは幾松どす。で、そちらさんは、どなたはんどす?」

「新選組局長の近藤である。ここに、長州藩士、桂小五郎がおるであろう。隠すとためにならぬぞ」

「おやおや、近藤さま。桂小五郎さまなるお方なんぞ、うちは知りまへんえ。よそのお店と間違うて……」

 その言葉をさえぎって、近藤が低い声を響かせる。

「とぼけるでない。そなたのうしろにある長持はなんじゃ。怪しい。改めさせてもらうぞ」

「待っておくれやす」

 名妓幾松の厳しくも凛然たる声に、近藤はたじろいだ。

「その前にひと言、言わせてもらいますえ。この座敷は、うちら芸妓にとって女の戦さ場。いわば真剣勝負の場どす。そやさかい、もし、長持の中に桂小五郎なるお方がおられた場合は、嘘をついたうちの首をねても、かましまいまへん。その代わり、もし、うちの着物しか入ってへんかったら、近藤さまに切腹してもらいますえ。よろしゅうおすか」

「ふふっ、面白い。それがしのあてがはずれたら、潔く切腹しよう」

「約束どすえ」

「武士に二言はないっ」

 近藤が腰の虎徹の鯉口こいぐちを切り、長持に迫ろうとしたとき、不思議なことが起きた。長持から得体のしれぬ妖気が立ちのぼり、次いで凄まじい殺気に襲われたのである。

「むっ」

 近藤は慄然とした。

 長持に手をかけ、ふたを開けた瞬間、必殺の突きに見舞われ、胴体を貫かれる――その自分の姿が脳裏をかすめ、近藤は恐怖に凍りついた。相手は自分より剣の腕が一枚も二枚も上手うわての桂小五郎なのだ。

 近藤はおのれの怯懦きょうだを悟られないよう、いかにも豪放磊落らいらくをよそおって呵々かか大笑した。

「ま、考えてみれば、花街で太刀を抜くのも野暮よ。幾松どのの覚悟にも深く感服仕った。今宵は引き分けとさせていただく」

 このとき、桂小五郎は長持の中で、抜き身の村正を構えていた。

 翌年の元治元年、禁門の変が勃発し、長州は幕府軍に敗れ、朝敵となった。お尋ね者となった桂小五郎は、乞食や町人に身をやつして、新選組や見廻組の取り締まりをかいくぐって難を逃れた。

 これが逃げの小五郎といわれる所以である。

 結果、桂小五郎こと木戸孝允は、死屍累々となった討幕派志士の中で奇跡的に生き残り、西郷隆盛、大久保利通とともに維新回天の大立者となる。幾松は孝允の妻となり、木戸松子と名乗った。

 なお、木戸孝允の愛刀は、もっぱら備前長船おさふね清光きよみつが知られている。清光の太刀は、忠臣蔵の大石内蔵助くらのすけが、吉良邸に討ち入った際の佩刀でもあった。

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