妖刀伝「村正」

海石榴

第1話 村正、不吉なり

 村正は、室町中期から数代にわたって伊勢桑名の刀工によって鍛造たんぞうされた。

 古来より切れ味の鋭さには定評のある名刀であるが、この刀は徳川家になぜか代々たたり、その結果、家康は村正を忌み嫌ったという。

 この村正の祟りは、広く人口に膾炙かいしゃされているため、ご存知の方も多いと思うが、一応おさらいしておこう。

 祟り、その① 

 ――天文四年、家康の祖父清康きよやすは、尾張の国森山で陣を張ったが、誤解からの怨みにより、家臣安部弥七郎に襲われ、斬殺された。このとき、弥七郎の使った刀が村正であった。

 祟り、その②

 ――天文十四年、家康の父広忠が、発狂した譜代家臣岩松八弥に、酒席で突然刺され、傷を負った。この刀がまた村正であった。

 祟り、その③ 

 ――天正七年、家康の嫡男信康が、織田信長から謀叛の嫌疑をかけられ、二俣城で詰め腹を切らされた。このとき、介錯に使われた刀が村正であった。

 祟り、その➃

 ――慶長五年、関ヶ原の戦いにおいて、家康は敵将を討ち取った織田有楽斎うらくさい(一説には有楽斎の嫡男とも)の槍を検分しようとした。ところが、槍のさやを払おうとしたとき、誤って手首を傷つけた。果たせるかな、その槍の銘は村正であった。

 手首から血を滴らせた家康は、怒りをぶちまけた。

「くそっ、村正めっ。徳川家になんの怨みがあるのか。もしや、徳川家を滅ぼす妖刀なるか。爾後じご、家中において、村正の刀を使うことはもとより、持つことも断じて許さぬ。すべて叩き折ってしまえ」

 この剣幕に、家康の家臣は怖れおののき、村正銘の刀を帯刀しなくなった。

 徳川幕府の権勢が高まるにつれて、譜代大名はもちろん、外様大名までもが佩刀することを差し控えるようになった。

 それでも、徳川に不平不満を持つ豊臣家の旧臣たちは、ひそかに村正を隠匿し、わざと村正を愛用する武将もいた。福島正則や真田幸村、さらに由井正雪も佩刀は村正である。

 そして、時代は下って幕末の世となり、村正は徳川打倒の剣として、歴史の渦中に再び華々しく躍り出て乱舞することになる。

 

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