第4話

それから私は神戸の家に何度か通った。

たわいのない会話。思い出話。

共通する話題はこれといってなかったのだけれど、神戸は律儀な子で、私が振った会話についてはちゃんと返答してくれた。


高校時代、あまり話したことがなく孤高のプリンセスであった神戸と、十数年たった今こうして話している。

なんとも奇妙な気持ちだったが、悪い気は全くしない。むしろ楽しい。

今まで忘れていた感覚を思い出した。高校時代に戻ったような。

それが心地よくて、それからというもの私は神戸の家に通い続けていた。


そんなある日、神戸の休みと私の休みが珍しくかぶったので、昼ご飯を食べに行くことにした。

昼間の神戸の部屋はなんだかいつもと違う雰囲気だった。

時間があるということで気持ちに余裕が出来たのか、私はいつもあまり見ない部屋の中を見渡してみた。

するとレコードプレーヤーがあり、その横に洋楽のレコードが山積みされていた。今時レコードなんて珍しい。よっぽど音楽が好きなのだろうか。

どんな音楽を聴いているのかしら。

私は神戸がキッチンに行っている隙に、山積みのレコードを引っ張り出そうとした。


「あ・・・。」


するとバランスを崩したレコードの山が大きな音を立てて崩れた。それを聞きつけた神戸が慌てて入ってくる。

「・・・何してるのよ。」

「あ、いや・・・何聴いているのかと思って。」

「プライバシー侵害。」

「悪い、でも私と神戸の仲じゃん?」

「どういう仲よ・・・。」


神戸は怒るというか呆れている。

私はバツが悪く、崩れたレコードを見て目をそらした。

「ん・・・、なにこれ。」

レコードの中で私の目にとまったジャケットがあった。

それは、古い映画のレコード。


「オズの魔法使い・・・?」

「・・・Over the Rainbow・・・それが好きだから。」

言わずと知れた名曲。神戸がそれを好きなんて少し意外だった。

「まぁ、私もいい曲だとは思うけど。神戸、そんなに好きなの?」

「・・・うるさい。」

神戸が恥ずかしそうに言う。

「Over the Rainbowね・・・。」

レコードを開いて歌詞カードを見てみる。

それはリアリストな神戸には似つかわしくないようなものだったが、これ以上追求すると本気で怒りそうなのでやめておいた。

ただ、少し気になった歌詞があったので思わずつぶやいてみた。


「“虹の向こうの空は青く信じた夢はすべて現実のものとなる”」


「なによ急に。」

私はふと思い出した、なぜか。

「ねぁ・・・虹の向こうにはそれがあるんでしょ?じゃあ錦の向こうには何があるの?」

「錦・・・?」

不可解そうな表情を見せる神戸。私自身もなぜこんなことを言いだしたのか不可解だ。


けれど、思い出したのだ。

神戸と出会う前に通った錦市場のことを。

なにも感動しない毎日を送っていた、あの日のことを。

真っ暗な生暖かい空気のあの道。


「錦市場だよ。その向こうには何があるのかな・・・。」

「高倉通りじゃないの?」

「そうだけど!そうじゃなくて!もっとこう・・・。」


とはいえ、じゃあどういう答えが欲しかったか。言ったものの、自分でも説明できなくて口ごもっていると、神戸がそれを悟ったのか、ゆっくり口を開いた。

「・・・何もないよ。私の知っている錦の向こうは・・・。ただ暗いだけ。」

「そうか・・・そうだよね。」

私は、はははと笑った。


私の知っている錦もそう。

でも、神戸といっしょなら何か違う見解ができたのかもしれない。という馬鹿らしい期待があったけれど、そんなこと本当に馬鹿らしいだけだった。


何を期待しているのだろう、私は・・・。


失笑していると、神戸がぼそっとつぶやいた。

「・・・とはいえ、私は虹の向こうにも何もないと思うんだけど。」

「神戸?」

「だいたい、こっちにきて虹なんて見たことないし。でも、この曲聴いていたら、何かあるのかなって少し思う。そんな不思議な曲。私にとって。」

「そっか・・・。」

私はまた笑う。すると神戸も吹き出すように笑って言った。

「熊谷って、文学的なこともたまに言うのね。」

「悪かったわね。」

「可愛いってことにしてあげる。」

そう言われ、私たちは笑いあった。

どうでもよかった日常に、何か虹がさしたような気がした。

神戸も同じ気持ちになっていてくれたら嬉しいのに。

そんな馬鹿らしい気持ちにもなった不思議な日だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る