本当の魔女⑩

 

「フィリアの修士、これは一体どういう事ですか? 貴女の返答次第によっては……」


「名は?」


 突然の出来事に慌てたのだろう。執行兵の男が、マティの前に歩み寄る。睨みつけながら、目の前を遮るように立ちふさがる。木製の長槍を持つ手に力が入っている。薄板の手甲の隙間から覗く毛むくじゃらの腕に血管が浮き出ていた。マティは怒っている。それはフュテュールにも分かるが、どうにもならないと思っている。


 人の背丈ほどある大型の槍が威圧する。その武器にも見劣りしない厳つい体格の執行兵。色黒で背も高く筋肉質の大男。マティの視線の位置などその男の胸元くらいだった。完全に見下ろされている。


 目の錯覚に見える――


 小柄で細身なマティの体重など、その男の半分にも満たない。大人と子供の体格差。なのに違う、まったく違う。


 そそくさと退散して行くうなだれた見物人達。しかし様子が気になるのだろう。時おり立ち止まり、振り返りながら遠巻きに、ちらちらとその様子を伺っている。


 その彼らもまた同様の錯覚に陥っていた。目を細めて「えっ、」と思わず声を漏らす若い女性もいた。対峙するマティと執行兵、どちらが怖いかと退散する彼らに尋ねたとしたら、誰もが同じ答えを言うだろう。口を揃えるはずだ。それほどまでに圧倒的だった。それは身分が違いからくるものではない。家柄を笠に威張り散らす名家のどら息子などとはまったく違う。



「私に何かを話しかけるなら、まずは名を名乗りなさい。貴方の名前を記憶致しましょう」


 怒気を含んだマティの声色には殺意に近いものが垣間見れる。執行兵の男は答えられない。じりじりと後退りする。名前を記憶されるなど冗談ではないのだ。厄介事に巻き込まれたくはない。


 魔女うんぬんを問わないならば、彼らにとって罪人の火刑など日常的なこと。この男は死刑執行人、人間を処刑することが彼らの仕事。こんな些細な事で高位の修士に逆恨みされたくはない。それが本音だった。


 後退りする執行兵の男は自身の足に異様な戦慄を感じている。小刻みな足の震えが止まらないのだ。目の前の小娘の瞳の奥に渦巻く暗い感情の炎に対して、明らかに脅えているのを自分自身で感じていた。


 いつの間にか風向きが変わっている。砂埃を巻き上げて渦巻いていた突風が、燃え盛る業火を一層と勢いづかせていた。刑場から立ち上る黒煙を巻き込んで拡散させている。風上にいたはずのマティやフュテュールの回りを黒い煙が包み込んでいる。


 息をしたくない。目が痛くなる。焼け焦げた少女の体から放たれるこの黒煙だけは吸い込みたくない。涙目のフュテュールは両手で口元を抑えたままうずくまってしまう。


 ふいに身体が軽くなるのを感じた。再び側に近寄り、マティが抱え上げてくれていることに気づく。顔を上げると、またもや人差し指で誰かを指差しているのが見えた。

 

 これで帰れるなどとは、もう思っていない。フュテュールは正面を見据えると、ぐっと歯を噛みしめて立ち上がる。涙を拭い、眼力を込めて、小さな覚悟を決めていた。マティの指差す先に見える。今から戦うことになるだろう。小さな椅子に偉そうに踏ん反り返る審問官。ヘデロ――

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