本当の魔女⑨

 

 お願い、早く死んで――


 これはフュテュールの切実な願い。眼前で焼け焦げている娘に対して、そう願う事しか出来なかった。


 火刑に処された娘は、もはや性別すら分からくなる程までに黒焦げている。見るに堪えない。フュテュールだけではなく、この光景を見守る群集の中の多くの者は口元を手で覆い目を伏せている。しかし表情がほころんでいる者も確かにいる。残酷さに同居する禁断の興奮を覚えている者も多かった。


 ここでマティが不思議な行動をとる。再びフュテュールから離れて歩き出していた。そして少し歩いて見物人が最も多く集まる前に立ち止まる。右腕を水平に掲げているのが見えた。



 「はい? なん……で……」


 人差し指で群集の中の一人、目の前にいた、にやついた顔をしている小太りの男を指差している。その指は怒りのあまり小刻みに震えている。視線はその男から逸らしていない。歯を食いしばる音が聞こえてきそうなほどに、すさまじい迫力と眼光に辺りの誰もが注目し、たじろいでいた。


 群集の誰もがもう気付いている。この女、ただ者ではないと。普通なら一般の人間がこのよう高慢な態度をとるはずもない。火刑に処された娘の縁者とも思えない。余程の権力者か何かなのかと、誰もが思うのは当然だ。そしてこの時代の権力者とは厄介だ。聖人などほとんどいなく理不尽な者ばかりである。その権力者が明らかに怒っているともなれば、睨まれた男が後ずさるのも無理はない。


 迂闊な行動をとれば殺されてしまう。その男が何かをしたわけではない。なのに無言で指差されている。男は後退りしながら左右の人たちの表情を確認している。意味が分からない、それが本音だろう。男の顔面から、みるみると血の気が引いていく。いたたまれなくなったかのように男はマティに一礼すると、一目散にその場から走り去っていた。


 回りの見物人達は唖然としている。いつの間にか群衆が無言のマティを挟むように左右に割れていた。マティの全身から滲み出る威圧感が途切れるどころかますます強くなっていく。そしてまたもや同じ行動をとっていた。今度は細身で口髭の見事な中年男だ。たった今走り去っていった男同様に指差さされていた。「俺……、私ですか?」と言いながら後ずさる口髭の男もまた同様に左右を確認するようなしぐさを取っている。しかし結果は同じ。違いと言えば、その男は指差されてすぐに逃げ出していた。


 そして三度目、マティが群集に視線を移している。主人に叱られ元気を失った飼い犬のように、群衆の誰もがうつむき、目を合わせないようにしているのがわかる。最も近くにいた中年女が圧に押し負けたかのように振り向くとそのまま走り去っていた。


 何をしているのか、フテュールももう気づいている。同じ女、同い年とは思えない。確かにマティは修士だが、意味もなく他人の生殺与奪を決めれるほど、偉いわけでも権力があるわけでもない。どのような人生を過ごしてきたら人間こんなにも強くなれるんだろうと不思議になってくる。男尊女卑の極みにあったこの時代に、このような生き方をしている者がいるのが信じられなかった。



 もう、個人を指差す必要はない――


 殆どの者がいなくなる。誰もが声を押し殺して立ち去っていく。ぱちぱち、ばちばち、間違いなく既に息絶えているであろう娘を、それでもなお、情け容赦なく焼き尽くす炎の音だけが響き渡っていた。

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