本当の魔女⑦
ヘデロ。マティの口から出たその名前にフュテュールはびくんと反応する。聞きたくもない名前。忘れたい。しかしその名は記憶にへばりつき、一生忘れる事の出来ないだろう。あの時の審問官だ。
「あの肉塊が暴走している。おそらくは私に対する当てつけです」
なぜマティがこんなにも殺気だっているのか、なぜ自分がここに連れてこられたのか、フュテュールは全てを理解する。いくらなんでもおかしいと思った。魔女狩り全盛期の頃、魔女裁判と言う名前の民衆法廷が魔女を裁いていた時代ならいざ知らず、異端審問会がそれを扱うようになった今は完全に下火になっている。
それなのに、わずか一週間そこそこの間に四度も異端審問が開かれるのは異例中の異例。
長い長い間。世紀を跨いで、大陸中を席巻した魔女旋風。幾多の者が理不尽に、無惨に殺されてきた歴史の中でそれを歎く者が出て来るのは当然。時代も少しずつ変化してきている。
今となっては昔のように、難癖付けて人を殺すのは難しい時代。しかしヘデロのような者も確かに残っている。
「ひどい。顔を覆われていない。口だけに……」
刑柱に縛り付けられている娘を見つめフュテュールが呟く。そばかすの目立つ、まだあどけない顔をした少女だった。まぶたは赤く腫れ上がり、肩下くらいまで伸びている髪はばさばさに乱れている。抵抗して取り乱していただろうことは容易に想像つく。
刑法に違反している。火刑に処する際には罪人の顔を麻袋で覆うのが通例だ。
木冊の向こう側。刑場の中に小さな椅子を置き、偉そうに踏ん反り返って座っている男に見覚えがある。忘れるはずもない。笑っている。こちらを見ている。彼もマティとフュテュールの存在には気付いていた。
信じられない。磔けにされている娘の口だけには、叫び声が出せないように口枷がしてある。なのに顔を覆っていない。彼女は泣いている。これから死ぬのが確定しているのだ。当然泣いている。
その表情を見て、そして見せつけて楽しんでいるのだろう。始末に負えない。磔けにされている娘、あの娘はフュテュールと言う獲物をマティに奪われた腹いせに審問官の男に選ばれたのだろう。言うならばフュテュールの身代わり。
マティが右腕の掌でフュテュールの頭を叩く。ぽんぽんと二回、何かの合図のように軽く叩いた。ここで待っていなさいと言っているのだろう。そのままフュテュールから離れ刑場に向かって行く。
「お待ち下さい、ここから先は……」
「下郎、道を開けなさい」
マティの前に立ち塞がる執行兵。しかし彼女は一顧だにしない。張りつめた異様な空気が辺りを包む。
その瞬間だった。審問官の男、ヘデロが立ち上がる。合図をする。掲げた右腕を振り下ろしたのだ。マティにも予想外だった。慌てて振り向き、刑柱に駆け寄ろうとしたが足が動かない。フュテュールは「やだ……」とだけ言葉を漏らしなから数歩後退った。まだ執行開始時間にはなっていない。なのに……
もう間に合わない――
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