本当の魔女③

 魔法使い。その昔は彼らは賢者様と呼ばれていた。それは名前ほどに大層な存在ではなく、どこの町や村にも必ず一人くらいはいたもの。そして不思議な力を持つ彼らの元には、様々な人々がその知恵を求めて訪れていた。


 私の子供が昨晩から高熱にうなされて苦しんでます。助けて下さい。


 我が家の牛の乳の出がおかしいんです。何が原因でしょうか? 


 雨が降らなくて困っています。賢者様、明日の天気は……


 このような人々のあらゆる悩み事を解決するのが賢者だった。彼らはなんでも知っていた。その不思議に見えた力と知恵を人々は魔法と呼んだ。星に語りかけて気象を読み当て、毒草を扱い瀕死の人間を蘇らせる。しかしそれは特別な何かではなく、代々と語り継がれてきた人間の英知。


 圧政、弾圧。この時代の平民達の多くはまともな教育というものを受けていない。文字の読み書きすら出来ない者も多くいた時代。彼ら賢者と呼ばれる者達の智恵が人知を超越した能力に見えていたのも無理はない。


 やがて魔法使い狩りが始まる。人々に崇められ、まるで神様のように敬われる賢者達を時の権力者が好ましく思うはずはない。絶対の権力者は自分よりも敬われる存在を許しはしない。


 当初は魔法使い狩り。対象となる者は賢者。老人が多かった。殺戮の極みを尽くした。拷問。報酬も貰える。やがて殺戮を許された者達は人間を苦しめる事に愉悦を覚える。


 歪んだ狂気の暴走は、時の権力者にすらも歯止めが効かなくなる。魔法使い狩りが魔女狩りと呼び名が変わるようになるまでにそう時間はかからなかった。合法で人間を殺せる。そうなればもう老い先短い老人を痛めつけることに興味がなくなる。歪んだ狂気が若く美しい女性を求める。これは当然の結果だった。



 くつくつと煮えたぎる水の音が聞こえる。フュテュールは、それが何だか確認してない。しかし、おおよその見当は付く。辺りに充満する匂いの元はそれだろう。その蒸気のせいなのか、室内は汗ばむような湿気に包まれている。



「ねぇ、フュテュール、私が魔女に見えるかな? 貴女、私のこと怖い?」


 悪戯っ子のような表情を浮かべている。おそらくはまだ意識が途切れ途切れで、ぼーっとしているだろうフュテュールの頬を人差し指で突っつきながらマティは笑っていた。


 それに対してフュテュールは、きょとんとしている。瞬間だが反応に遅れる。ピンとこないのだろう。前日までの彼女の名前はクローディア。それを捨てなければこの先、人間として生きられない事は彼女も理解している。しかし簡単には馴染めない。


 フュテュールは小さく首を左右に振っている。視点すら定かではない潤んだ瞳を懸命に見開いていた。彼女から見たマティとは高位の修士。それは遥かに高い雲の上の存在のような人。本来ならばこうして介護してもらっていること自体が信じられない話。


 ハーブの秘法には確かに驚いた。しかし彼女ほどの者、無学に等しい自分が知らない、あらゆる秘法を知っていてもなんら不思議ではない。これも神の慈悲。そのようにフュテュールは受け入れていた。



「陽射しに晒し続けた、色気というものを知らない赤茶けた肌、ぼさぼさの髪。でも貴女は美しい。相当の男を虜に出来る資質を秘めている」



 ――意識が途切れていく。


 忘我の霧に包まれていくかのように再び眠りにと落ちていく。途切れいく意識の中、フュテュールの耳に聞こえるマティの声は幻想的だった。妖しい言魂に吸い込まれ精神を支配されているような錯覚にさえ陥る。


 熱い――


 指の感触、なぞられている。服を纏わずにベッドに伏せるフュテュール。消え行く意識の中で自身の体の上を滑るように伝うマティの指を感じる。強烈に熱い。体中をまさぐられている。



 ――クローディア。


 彼女は落ちゆく眠りの中で、何度も何度もその名前を呼ばれていた。無惨に殺されてしまった、今は亡き姉と母親が呼んでいる。夢見ていたのは懐かしい幼少の頃。フィリアの町外れ、草花が咲き乱れている。



『家に猫を招いたら駄目、野草は絶対に摘んだら駄目。怖いよクローディア、魔女に連れ去られたら名前を奪われちゃう。酷使されて、サバトの贄にされちゃうから……』


 亡き母親が夢うつつのフュテュールに語りかけている。何度も忠告されていたことを思い出している。夢見ているのは幼き日の記憶。楽しそうに歌う小鳥達、色とりどりの草花が揺れている草原の下、幼き日のクローディアは母親に抱きしめられていた。


 怖い、怖いよクローディア、魔女に連れ去られたら名前を奪われちゃうからね――

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