異端審問⑨

「貴女とはいつかゆっくりと、この部屋で語り合いたいものですな」


 これは常套句。暴力が通じないと悟った審問官の古典的な脅し。悔しさに溢れた遠吠えに等しい。マティは最初から、一度足りとも彼女の助命を訴えたりはしなかった。必死の助命嘆願は、彼ら屈折した性癖の持ち主達には逆効果。興奮と言う刺激剤を与えるだけだと熟知している。



「ふぅ、最近は言い寄って来る男が多くて困っているんです。この間もそう、フィリア騎兵団の将校さん、意外だった。同性相手しか興味がないと言う噂の人なのに」


 色落ちた薄板の剥がれかかった天井を見上げながら呟くマティ。これはまるで独り言。しかし、その言葉を聞いた瞬間に審問官の動きが止まる。顔色がみるみると青ざめていく。



「あまりしつこいから私ね、冗談半分でその人にネックレスを買ってってねだったんだ。タリアの青石。笑っちゃうよね、そのひと本当に買ってくれるだって」


 胸元に両手をあてがいながら続けざまに畳みかけていく。これは作り話である。しかし、その全てが嘘と言うわけではない。顔面蒼白なのは審問官。屠殺所に運び込まれ、真っ青になっている家畜を彷彿させるようなひきつって硬直した表情だ。


 マティの言葉が嘘っぱちだと言うことは、ある程度は見抜いている。しかし、どこまでが真実なのかわからない。そして問題はそこではない。女の身でありながら、若くして高位の修士に推挙されたマティ。類い稀なその異才の源は情報収拾能力。当然だがマティは、審問官の男の身辺については徹底的に調べ尽くしている。



「噂なんだけどね、その将校さん、普段は豚みたいな男に抱かれているみたい。私に言い寄ってくるのも分かる気がする」


 最後に冷たい笑みを浮かべて呟いた。茫然と立ち尽くす執行官の男二人にはこのやりとりの細かいところまでは分からない。それでもここまで火花の散らしあいを見せつけられているのだから、ある程度は理解はしている。気まずい表情でふたりから目を逸らしていた。


 審問官は動けない――


 マティが妥協案を示してきた時点で、話しに決着はついたと審問官は踏んでいた。しかし予想外。まさかその後に、もう一歩斬り込んでくるとは想像すらしていなかった。アル・マティ、この会士は最初から審問官の男に狙いを定め、徹底的に潰すつもりだった。今となってはそれを審問官も悟っている。だとしたらなおさら暴力の行使は不可能。そう判断する。これ程の者が万が一を考慮しないでこの場にいるとは考えにくい。



「降ろせ……」


 異様なまでの緊迫感に包まれた室内に立つ二人の執行官達は、審問官の命じたその言葉を聞いて安堵していた。この女には喧嘩を売りたくないが本音だった。その彼ら二人の行動は迅速。からからと小気味よい音と共に吊り鎖が回し落とされる。吊されていた彼女の両足が徐々に床にと近づいていく。


 地に足がつく。たったこれだけのことだが、彼女にとっては地獄からの生還のようにすら感じているだろう。しかし、その両足が床を踏み締めたと同時に響き渡るのは喜びの声などではない。絶叫だった。再び轟く悲痛な叫び声が辺りの空気を震わせる。ふとももにはそれぞれ、二本の針が突き刺さったままの状態。鎖という支えを失った今、両足にかかる全体重の負荷が、麻痺しかけていた激痛を再び呼び覚ましていた。



「審問官様。大変な職務でしょうが、これからのご活躍をお祈りしています。そしてもう一つ。最近悪い噂を耳にするもので……」


 自力では立ち上がる事が出来ずに崩れ込み、唇を噛み締め激痛を堪えている彼女に、マティは肩を貸し支え上げる。そして、茫然と立ち尽くす審問官に対して話し掛けていた。



「魔女は本当にいます。そして私も聞いた事があります。ラ・ファの魔法を失った魔女が、理不尽に人々を殺傷して愉悦に浸っている、殺戮者の血を追い求めていると言う噂」


 含みのある、意味深な言葉を最後に残す。審問官の男を見据えるその目は冷たい。妖しく光る瞳孔。それはまるで、獲物を圏内に捉えた爬虫類のようだった。

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