異端審問⑧

「今頃になってなんだい? 証拠は全て出揃っている、俺の審問能力を疑うのかな?」


「預言者リファルをして、幼い頃から異才を放つと言わしめ推挙されたのが私。疑いますか? 私の神託能力を疑うと言うことは、養父リファルの人相眼をも疑う事になります」


 審問官の言葉を遮りながら切り込んでいくマティ。振る舞いも気の保ち方も一枚上手。マティは自分自身を知り尽くし、その上で斬りかかっていく。


 中指を陰部から引き抜く。薄い陰毛を伝い、重さに耐えきれなくなった血滴が糸を引くように落下している。そして光沢を放ち、赤く湿ったその指を審問官に向けていた。高位の修士であるアル・マティが、彼女は魔女ではないと確認した。翳した中指がそう告げていた。


 審問官は眉間に皺を寄せたまま言葉を失っている。もともと彼女が魔女などではない事など、この肉塊だけではなく執行官の男二人も知っている。ただ殺して金を得たいだけ。中指の神託。審問官の男がここで突っぱねたらマティの能力に疑惑をかけた事にる。マティを推挙した預言者リファルの能力にも疑いをかけたと言うことになる。



「出揃った証拠、それは刻印のことですか?」


 答えられない。問いかけるマティから視線を逸らし、肉塊は下を向く。もう一度調べられたら嘘がばれる。それらしきものの数は八つだった。裁判記録に虚偽の記載は重罪。そして、仮に本当に六つだったとしても、マティは彼女の頭髪を剃り落とすだろう。もう一つくらいは必ず出てくる。もともとが因縁を付けただけなのだから。


 審問官は苛立っている。楽しみにしていた玩具を取り上げられた。そんなとこだろう。しかし、数刻の静寂の後、今度は顔を見上げて笑い出す。声のない、感情を見せない、口角をあげただけの危険な笑い。面子は丸つぶれにされたのだ。人間と言う仮面を脱ぎ捨てた権力者の素顔、彼ら権力者が、この素顔を他人に見せる事は滅多にない。


 危うい。

 

 マティの背筋に氷の針を突き刺さられたような冷たさが走る。いつの間にか、振り向きこそしないが、執行官の男二人がマティの背後に回っているのが気配で分かる。審問官、この肉塊はなかなか強い。この場で潰せるかもとマティは思っていたがどうやら難しい。妥協を迫られる――


 右の掌で自身の頬をさする審問官。赤黒く脂ぎった弛んだ頬肉の部分に彼の指先が埋もれ込んでいる。汚らわしい。


 吊された彼女の目隠しを剥ぎ取るマティ。室内は薄暗い。しかし、突然目隠しを外され、差し込むろうそくの光が強烈なのだろう。瞳孔を刺激する燭台の炎に、目をしばしばとさせていた。


 その目には涙が溢れている。しかしマティを見るなり軽く笑顔を見せる。尋常ではない痛みは今も続いているだろう。ふとももに刺さる針からの出血は今だ止まっていない。それでも笑う。見てはいない。見えてはいないが、彼女は聞き耳を立てて会話の一部始終を聞いていた。マティという名の預言者の養女である修士が助けに来てくれたのは悟っている。



「あ、ありがとうございます。私はクローディア……」


「死んだ貴女は私の奴隷。名前など聞く必要はない。貴女は何者でもない、それがいいでしょ?」


 彼女の言葉を遮ったマティの言動には彼女だけではなく辺りの男達も驚いていた。凄いことを言う。これは断じて修士の口から発していい台詞ではない。しかもマティは最後に問いかけている。クローディアにではなく審問官の男に対してだ。



 私が立会人になれば、何かと都合がいいのでは?


 これは異端審問所で言っていたマティの言葉。それを審問官の男は思い出す。修士であるマティが口添えするならば、例えこの場で彼女を殺したとしても、魔女処刑の報奨金は彼らの懐に入る。


 彼女の名前を聞こうとしないマティ。名前を剥奪したと言っていいだろう。人間としての彼女の存在を消し去ると言うこと。これは殺害したのと同じ。口添えはする。貴方達は金を得る事が出来る。だからこの娘の身柄を引き渡せ。これがマティの示した妥協案。


 審問官の男としては、この条件を呑む以外の選択肢はない。彼はねじれ曲がった性格の持ち主だが馬鹿ではない。無茶はしない。しかし悔しいのだろう。苦々しい表情を隠さない。そして室内に沈黙の時が流れていた。

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