異端審問⑥

 

「喰うかい?」


 机の上に置かれているのはサンドイッチ。一人掛けの椅子の上に無造作に体をあずけると、手に持つそれをマティに差し出していた。木製の椅子が悲鳴を上げている。このような男の尻に敷かれる椅子が、可哀相にすら思えてくる。


 マティは軽く首を横に振る。それを見た審問官の男は、その手に握りしめたサンドイッチをそのまま頬張りながら、吊されている彼女を見つめている。よくもまた食欲が沸くものだ。人間はどこまで残酷になれるものなのか、そんな思いがマティの脳裏に過ぎる。


 想像と違った。室内には目を覆いたくなるような残忍な拷問器具が所狭しと並べられているものだと想像していた。しかし何もない。拍子抜けする程に何もない。吊されている彼女の、途切れ途切れだが荒々しい呼吸音だけが室内に響いている。この男達は慣れているのだろう。人の恐怖を極限まで煽り、時間をかけて死に至らしめる事に慣れている。


 両手首から吊されている彼女は目隠しをされている。普通ならば、人間の怯える姿に興奮を覚えるような、屈折した性癖を持つ者は目隠しなど使わない。恐怖に歪む表情、絶望を悟ったその瞳を見る事が出来なくなるからだ。しかし彼らは違う。執行官の男が、両手に持つ二本の長い針を十字に合わせ打ち鳴らす。キンっという、軽くて澄んだ金属音が室内にこだましていた。


 その瞬間に吊されている彼女が叫ぶ。うめき声とも悲鳴とも取れる悲痛な声。怖いのだろう。容易に想像はつく。これは最悪の拷問法。


 見えない恐怖。いつ刺されるのか、体のどの箇所を刺されるのかすら分からない恐怖。両手を細い鎖で縛られて吊し上げられている彼女は、身をよじらせながら抵抗している。目の前に吊されているのは年頃の娘。見た目も悪くない。上玉の部類に入る。しかも衣服は全て剥ぎ取られている。一糸纏わない裸の若い娘。しかし彼らは、犯そうなどと思っていない。


 目の前にいるは汚れた存在。いや、正しくは彼らの目には、若く美しい人の容姿はしているが人間としてすら映し出されていない。これが本当に始末に負えない。相手に対して一切の情けがわかないのだ。それだけに拷問は苛烈であり凄惨の極みに達する。


 燭台の炎が揺らめいている。その都度に室内はゆらゆらと明滅を繰り返している。しかし収まる。机の底に再び暗い影を落としていた。


 よく耐え抜いたね――

 並大抵の精神力ではない。正直、マティは驚いている。彼女の両足、両方のふともも部分にはそれぞれ長い針が突き刺さっている。真っ赤に染まっていた。悲鳴の原因だ。


 彼女が自白した雰囲気はない。仮に自身が魔女であると認めていたとしてもこの男達は徹底的にいたぶってから彼女を殺すだろう。しかし、自白した様子はない。耐え抜いている。何を信じて耐えているのかは分からない。



「やるかい?」


 にやついた表情で椅子に座ったままマティに問い掛ける審問官の男。彼の指し示す人差し指は、吊られた彼女の右肩付近を指差している。その言葉に合わせ、執行官の男の一人がマティに対して無情な光沢を放つ長い針を手渡そうとしていた。



「血が流れてますね?」


 ここでマティは言い放つ。彼女の足元に目を落とせば、血と尿の入り交じった小さな水溜まり。そして、その言葉を聞き、きょとんとした表情を浮かべる回りの男達。間抜け面だった。



「勘違いしないで頂きたい、刺しても流れないのは心臓だろ?」


 多少、動揺した様子で椅子から立ち上がる審問官。醜く肥え太っているため、ただ立ち上がるだけでしんどそうだ。そのまま歩いて行く。部屋の中央、彼女の側。そして懐から短剣を取り出していた。


 止める暇などなかった。

 一瞬の出来事。審問官の右腕が動いたと思った瞬間には、握り絞めていた短剣が音もなく彼女の胸に突き刺さっていた。魔女は心臓を刺しても血は流れない。これもこの時代の人々には信じられていた。



「うぅぅ……」


 彼女の微かなうめき声が響く。突き刺したそれは、胸の膨らみに埋もれ剣の刃先が見えなくなるほど深々と食い込んでいる。そして審問官の男は、マティを見据えてにやりと笑う。血は流れていない。一滴足りとも流れていない。満足そうに短剣を引き抜くと審問官は再び椅子にと戻る。手にしていた短剣を無造作に机の上に放っていた。そして微かな含み笑いの声を上げながら再びどかっと椅子に体を放り投げていた。



「確定ですね……」


 審問官の男より深く笑うのはマティ。笑い声など発さない。深い笑みを浮かべ審問官に近寄ると、止める間もなく机の上に転がる短剣を握りしめていた。誰もが絶句する。次の瞬間にマティは、その短剣を深々と自分自身の心臓目掛けて突き刺していた。

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