異端審問⑤
錆び付いた鉄扉が開かれる。同時に鈍く、耳障りな金属の擦れる音が響き渡る。不快な感覚がまとわりつく。それは目の前に続く独特の雰囲気を醸し出す廊下が、そう感じさせるのだろう。誰にだって分かる。この空間は嘆きに満ちている。
鼻につく嫌な匂いに顔をしかめる。通路は綺麗に磨かれている。決して異物は転がっていない。それでもごまかせない。これは血の臭いだ。それも鮮血の臭いなどではなく、もっとこう、腐ったような臭いだ。どれほどに壁を磨こうと、洗い流そうとも消えない臭い。死臭。例え十年経っても、こびり付いたこの臭いは落ちないだろう。
通路の奥、外界から隔離されたその部屋から絶叫が響き渡ってくる。早い、早すぎる。異端審問所からわずか数百メートルも離れていないこの建物に移動して来た。あれから三十分も経過してないのにもう始まっている。
「おうおう、もうやっとるのか。気の早い奴らだな……」
マティの隣を歩く審問官の男が愉悦に満ちた声と下卑た笑みを浮かべながら法衣の袖をはたいている。嬉しいのだろう、傍目に見てもそれはわかる。醜悪な顔と体型、残忍な性格。マティの目から見たらまさに動く肉塊だ。人間の恨みや欲望が凝縮して形成された喋る肉塊。そして、この肉塊が到着する前には、執行官の者とて無茶はしないはず。それは分かっている。しかし通路の向こう側から聞こえてくる悲鳴は、あまりにも痛々しい。
「必ず――、浄化してやる……」
「ん?」
マティの隣を歩く肉塊が不可解そうな表情を浮かべている。聞き取れなかったのだろう。首をかしげているうちに辿り着いた最奥の部屋。その鉄扉は固く閉ざされている。そこに一切の隙間などない。
マティは目をしばたたいていた。軽く後退りしそうになる。扉の向こう側から、邪気にも似た黒い霧が溢れ出ているような錯覚に陥っていたのだ。
同時に再び響く耳障りな金属音、重厚な鉄の扉が開かれていく。審問官の男、肉塊がマティの前に立ち塞がり、づかづかと先に入室して行く。中の様子が見えない。目の前の肉塊の背の横から覗き込むように室内に入ろうとした瞬間だった。
突如として轟く絶叫、悲鳴、響くなんてものではない。鼓膜を揺さ振り、自分自身のみならず部屋全体を揺るがしているような錯覚に陥る。先程の悲鳴は防音の効いたこの重厚な鉄の扉によって、その殆どは掻き消されていたのだろう。今は違う。轟く絶叫によって辺りの空間が震えている。
「貴女のような者には、最初は少々刺激が強すぎるかもしれないですな。なぁに、すぐ慣れる。次第に心地良く聞こえてくる」
肉塊は笑う。
先程までは腐敗した魚のような、濁った目をしていた審問官の男。しかし、この部屋に入った途端に、その瞳が輝き出している。悦に浸っている。対象的にマティの瞳は細くなる。泥土に身を伏せながら敵に狙いを定めた弓兵、今まさに矢を放とうとしている殺意に満ちた瞳。
大股で歩きながら部屋の奥に入って行く審問官の男。部屋の中は殺風景なまでに何もない。一人掛けの机と椅子が隅にあるだけ。そして食べ物だろう。何かが机の上に置いてある。中央には吊り鎖。そこに先程の彼女が吊し上げられている。それだけだ。
便所の底面タイルを連想させる趣味の悪い柄の内壁。至る所に染みが付いている。これが何の染みだかは想像したくもない。そして臭い。むせ返るような臭いと生暖かい空気。とにかく臭い……
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