異端審問④
震える声を振り絞り、必死で哀願する彼女の叫びが薄暗く冷たいフロアに突き刺さる。しかし、もはや覆らない。
連行されて行く。哀願の声がやがて絶叫にと変化する。彼女は瞳を閉じる事が出来ない。瞼は開きっぱなし。瞬きすらしない、視線は審問官の男に向けられたまま固定している。
それと同時に冷たい石畳の上を、こつこつとリズムよく叩く足音が響く。傍聴席に座っていた女、預言者の養女と呼ばれる女が審問官に向かって歩み寄って行く。
「罪状は?」
歩み寄りながら、審問官に対して問い掛ける預言者の養女。その途中で連行されている拷問判決を受けた彼女と交差する。しかし懇願しながら連行されて行く彼女を見つめるその目は冷たい。直前の死を悟り悲鳴をあげて抵抗する家畜を金型に嵌めていく熟練の屠殺人の冷たい目を連想させる。
「牛乳盗みの魔法だ。告発者は一人ではなく裏も取れている」
それまで背を向けて話していた審問官の男だったが、彼女が退廷させられたのを見計らったのだろう。ようやく振り向いた。
牛乳盗みの魔法。この時代の魔女裁判にて、告発されて容疑をかけられる者の罪状の大半はこれだった。この国に於ける牛乳とは、バターやチーズなどの原材料になる最も貴重な素材。魔法使いが魔法にてそれらを盗む。この時代の人々は丸ごとそれを信じていた。
しかし、ここからが愚か極まりない話。販売されている牛乳や貯蔵されているそれらを盗むと言うのではない。牛の体内から魔法を使って直接盗むと信じ込んでいた。それだけに、乳牛が乳を出さなくなると、それを魔女の仕業と騒ぎ出す。近くに魔女が潜んでいる。そのように噂が広まると誰もが告発されるのを恐れて眠れなくなる。牛とて当然、高齢になれば乳は出なくなる。しかしそこは誰も突っ込まない。
告発されたら最後、魔女であろうとなかろうと必ず処刑されてしまう。そこで村の人々は相談する。村の中で最も立場の弱い者を魔女として仕立て上げてしまうのだ。魔女裁判はある意味、生贄の儀式と似たようなものである。
「修士の娘(シスター)、貴女のような者が立ち会うような場所ではないだろう?」
顔を見上げて問い掛ける審問官の男。小太りのその男の顔は醜悪だ、嫌悪感すら沸く。顔は生まれ付きのものだろう。しかし、これは違う。一目で分かるその醜悪さは、この男の近年の生活習慣が形成した賜物だろう。異様な光沢を放ち、脂ぎっている。間違いなく酒、そして豪勢な主食。
「会士、アル・マティと申します。後学の為にも興味があるんです。私が立ち会い人となるなら何かと都合がよろしいのでは?」
対するに返答する女の方は正反対。気品と清楚が同居するような、高位修道士独特のたたずまいと物言い。連行されていった女と同じくらいの年令、二十代前半といったくらいだろう。
審問官の男には、マティと名乗るこの会士の申し出を跳ね退ける理由はどこにもない。むしろ、立ち会ってくれるならば彼女が言う通り都合がいい。
もはや正式に処刑する必要すらない。拷問場で殺してしまって構わない。マティが口添えしてくれるなら連行された女を闇に葬っても報奨金は出る。手っ取り早い。
興味があるんです。
時代が違うならば、このように言い放ち拷問場に入りたがる女など狂気の沙汰ではない。後学の為と言う言葉は、もはや狂っているとしか言いようがない。
しかし、この時代は違う。この時代こそは人類の歴史上で最も命が軽く扱われていた時代。差別や戦争よりも軽い理由で、簡単に他人を陥れていた時代。
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