異端審問③

 強制的に口を割らせる、もう一つの刻印、この時代に生きる者なら誰でも理解出来る。それは魔女の持つ無痛点。魔女という者は体の何箇所かに痛みを感じない無痛点がある。この当時の人々はそう信じていた。


 そこで最初に行われるのは針刑。誰でも知っている。この時代には大流行していたとも言える拷問方法だ。巨大な針を体に突き刺さられる。当然だが誰もが苦痛のあまりに悲鳴を上げる。しかし、お構いなし。次々と刺していく。絶え間なく襲う激痛に気絶する事すら許されない。


 どれほどの数の針が刺された頃だろうか? 体中が針で覆われた状態、死に行く者しかその感覚を経験した事はないだろう。やがて人間は痛みに対する感覚が麻痺するらしい。


 もはや痛みすら麻痺している。そして、叫び声を発する気力すら失われる。その時に執行官は叫ぶと言う。ありました、悲鳴を発さないのでここが無痛点ですと……


 しかし、その状態にまで辿り着いた者は歴史上でも数人。大概の者はその前に耐え切れずに自白する。死刑にされた方が遥かにましだから。



「私が……」


 もう確定した。諦めよう。そう思いながら彼女が言葉を吐きかけた瞬間だった。傍聴席から何やら、金属のような物が転がる音が鳴り響いていた。



「うわっ! 大変申し訳ありません。母と姉の大切な形見であるアミュレットを落としてしまいました」


 静寂に包まれた空間を乱すのは傍聴席に座る若い女性の声。慌てふためいたような様子だ、申し訳なさそうに審問官に向かって詫びていた。しかし誰もがその方向に気を取られている中、被告の彼女だけは正面を見据えている。母と姉、その言葉を聞いて喉元まで出かかっていた言葉を呑み込んでいる。強い娘なのだろう。ふらつく足で懸命に立ち上がると、気丈な面持ちで最後の抵抗とばかりに審問官に向かって言い放っていた。



「私は魔女ではありません。母も姉も違いました。これは冤罪です。もう一度、審議をお願いします」


 背中を向ける審問官の男の表情は、彼女には伺い知れない。今にもはちきれんばかりに青筋を立てて、わなわなと震えているなどとは知る由もなかった。



「再審議の余地などない! 証拠は全て出揃っている。連行せいっ!」


 無情な一言。再び力なく崩れ落ちる彼女の両脇を二人の執行官が掴み上げ、無理矢理引きずり去ろうとしていた。


 この後に待ち受けるのは、悲と惨と辱に塗れた展開。それは彼女も理解している。もはや衣服の前側が薄黒く変色している、失禁しているのだろう。しかし連行する執行官には情けのかけらすらない。むしろ喜悦に満ちた表情である。



 五、三、二。これは魔女告発から処刑に至った時の報酬金配当額。


 彼女を裁き、有罪判決を下した審問官の男は五。国から支払われる報酬金の半分を得る事になる。


 三は告発者。彼女の母親が魔女であると、異端審問会に最初に告発した者が得る報酬。金が貰えるのである。これが魔女狩りに火を付け、瞬く間に全土に広がった原動力。


 彼女の母親のように、家柄もよくなく、旦那が何らかの理由で早逝した未亡人は絶好の的。ただでさえこの時代は女性の立場が弱かった。父親という後ろ盾を失ってしまうと人権など皆無と言っていい程に周りにも冷遇されていた。それだけにだ。


 二。最後のこれは執行官。ようするに拷問をして口を割らせる者達。これら全ての者が金を手にする事が出来るのだから始末に負えない。異端審問に呼び出された者は生きて帰れない。これは当たり前の話。



「拷問執行ならば、立会人の付き添いが必須のはずですよね? 弁護人も見当たりません。よろしければ私が……」


 彼女が連行されようとしたまさにその瞬間に、傍聴席に座っていた一人の女性が立ち上がる。審問官に対して有り得ない事を問い掛けていた。先ほどアミュレットを落とした女性だった。


 審問会。これは裁判。ならば当然の話だが弁護人は必要であり、拷問となれば立会人も必要。しかしこれは魔女裁判。異端審問に関しては通例を無視して進めるのは暗黙の了解である。



「し、審問官。あの娘は修道院長、預言者リファルの養女です」


 審問官の男の横に座る裁判記録官の男が気まずそうに小声で囁いている。預言者とは現代の人々が思うような、未来を読み通す力のある者、予言とは少々違う。神の言葉を預かり、人々に伝える者。神託者、それが預言者の本当の意。この時代では最も尊敬され崇拝されている位階高い存在だった。養女とはいえ審問官の男ほどの立場の者でも無下には接する事が出来ない。

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