第13話 デート1

 白い森。音すら忘れてしまったような殺風景な風景の中に鏡のような湖。その上に私と弘人が立っていた。

 弘人は私を睨んでいた。クシャっとした笑い皺なんてアイロンをかけたようにピシッと伸びていて、代わりに眼鏡の奥から蔑みが現れていた。

「明美がそんな奴だと思わなかったよ」

 よほど憎いのか、声のトーンすらいつもより低く、空間がうねった。森がざわめく。弘人は背を向けた。水面が激しく揺れる。心の中はもうぐちゃぐちゃだ。なんでそんなことを言うの。なんでそんなに見下したように私を見るの。心の奥底が寒さで震える。寂しさで立ちすくむ。

 やりようのない冷たい気持ち。お前なんかいらない。そう言われているきがした。

 ねえ、弘人。また笑ってよ。また笑って、私を笑顔にしてよ。叫びにも似た懇願が喉元から出ようとした瞬間、ふと声が聞こえた。私を呼ぶ声だ。慣れ親しんだ あのちょっと野太い、でも優しい声。

 いつだって決まって催促をするこの声は私に安らぎを与えてくれる。

 温もりが視界を少しずつ照らし始めてくれた。




 ぶんたを風呂に入れた後に私もお風呂に入って、一息着こうと思って寝そべったのが運のツキだった。そもそも寒い中朝まで床に横たわっていたのが間違いで、体が思ったより疲れ切っていた。ストーブの温風がまた気持ちよくて、じわりじわりと眠気を誘う。たまにはこうやってストーブの前で温まりながら過ごす一日も悪くない。

 そう思って目を閉じた。そこまでは良かった。

「明美、腹減った」

 そうして目を覚ました次の瞬間、少し後悔した。朝日が差し込んでいた窓からは太陽が隠れ、青々とした太陽がガラス戸越しに見える。体の重さもだいぶ抜けきっていた。あぁ、寝すぎたな。

 胸元にはぶんたが口を半開きにしながら私を見つめている。

「明美、いい加減飯をくれ。腹が減ってたまらない」

「うん、今用意するから」

 寝ぼけ声の返事をしながらゆっくりと立ち上がる。あんな夢を見ていたのに不思議と体は重くなかった。

 時計はすでに13時を指している。

「良く寝たね、私」

 二度寝は良くするけど、こんなに長い時間寝ていたのは初めてかもしれない。感慨にふけり、そういえばご飯を催促されていたなとキッチンへ向かった。

「今日は風呂も入れられて、朝飯も我慢させられて散々な日だ。全く」

「ごめんって」

 ぶつくさと文句を言いながらついてくるぶんたに謝罪を入れつつ、カリカリの袋を取り出した。

 が、なんだか軽い。振っても音がしないので、覗いてみる。見事に空だ。残りあと少しだからそろそろ買わないといけないなということは頭に入っていたけど、弘人とのデートに舞い上がってすっかり忘れていた。

「ごめん、ぶんた。ご飯がない」

 はぁ。人間でいうならそういうため息の一つでも聞こえてきそうだ。

「飼い主としてご飯の一つや二つ、用意しとくべきなんじゃないか」

「まぁ、おっしゃる通りなんだけどね。つい昨日のデートに舞い上がっていてしまい、はい」

「明美が誰と付き合おうとそれは別に構わないけども、俺の飯だけは忘れないでくれ」

 しょんぼりとしたしっぽがまた哀愁を漂わせる。

「仕方ない。魚でも貰いにいくか」

「魚?」

「釣りをしているおっさんがあちらこちらにいるんだ。うまくいけば飯にありつける。今はとにかくうまいものが食いたい」

 舌なめずりをするぶんた。すでに頭は魚でいっぱいだ。

「なんなら明美も行くか。お前もいればもっともらえるかもしれないしな」

 普通、女性に対して釣ったばかりの魚を渡すおじさんっているのだろうか。

 とはいえ、ぶんたから誘ってくるのは珍しい。大方、私を気遣ってくれているのだろう。なら好意に甘えよう。


 今日はぶんたとのデートだ。

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