第9話 ディナー4
素敵な時間は瞬く間に流れて、物足りなさを残しながらも終わってしまった。
ゴツゴツとした車内に戻り、雰囲気のいい音楽がまた空間を演出する。上から見えたあのゆったりとした動きも素敵だったけども、あっという間に流れていく風景も儚げだからこれはこれでいい。弘人の隣で流れる街並みを眺めていると、ふと窓に映る自分の顔に目がいった。
頬が緩んで目元も優しい印象になっている。口元もなんだかにやけているような気がする。なんだ、幸せそうじゃない。私。
「また来年も行こうな」
「そうだね、また来年もよろしくね」
来年もまたあの場所で。素敵なひと時が過ごせばいいな。
「なんだか『来年もよろしくね』ってお正月みたいだね」
確かに。愛嬌良く笑う弘人。
「明美の家のお正月ってどんな感じだった」
「私の家のお正月は特に何もしない一日かな」
お父さんはぶんたに負けず劣らずお腹が出ているほど運動嫌いな人だったから、休日ですら家でゴロゴロと昼寝をしていた。家族で過ごす時間が一番なんだよという割にはいつも眠りこけていた気がする。そんな人だからお正月なんて特に何もしたくないと、一歩も家からでない。お母さんもそれを知っていて、正月はテレビを見ながら過ごしていた。
そう思うと正月は特に何もしていなかった。むしろ大みそかの方がお正月用の料理用意したりして忙しかった気がする。
そうそう、筑前煮だ。
「筑前煮?」
弘人が不思議そうに尋ねた。
「大みそかに筑前煮を作るんだけど、いつもぶんたが匂いを嗅ぎに来て『飯よこせー』って鳴いてくるの。これはぶんたのご飯じゃないよってお母さんが言っても聞かなくて、仕方ないから湯通しした鶏肉をちょっとだけあげてたな」
ぶんたの真似をしておどけてみせる。ご飯が欲しい時に顎をちょっと突き出すように鳴くのが特徴だ。ちらっと横目で弘人がその姿を見ると、含みながら笑った。
「ぶんたは食い意地張ってるんだね」
「うん。でも、かわいいよ」
意思疎通ができるようになって尚更、その愛おしさは強くなってきている。甘やかしすぎた気はしているのでダイエットは必須だけど。
「俺の家ではコーギーを飼っているんだ」
イメージしやすい茶色と白の毛並みで結構大きいんだ、これが。弘人が片手でなでるようにその大きさを表現する。
「けど、とにかく散歩に連れていけの一点張りだったかな。正月だとか構わずに朝起こしに来るんだ。前日は年越しまで起きているのきっと知っているはずなのにさ」
そう思うと、毎年寝不足だったな。正月は。困ったように笑いながらも、どこか懐かしさを思い出すように遠い目をしていた。
「そのうち見に来たらいいよ。もうだいぶ年だけど、それでも実家に帰るとしっぽがちぎれるんじゃないかって心配になるくらい喜ぶんだ」
そのうちか。
窓の外にふと子連れの親子が見えた。子供が疲れ切って父親の背中で寝ていた。それを見てお母さんが嬉しそうに微笑んでいる。
「弘人の実家って宮城だっけ」
「そう。なんだかんだすぐだよ。新幹線使って在来線乗り換えて。市内だったらこっちと変わりないくらい栄えているし、ちょっと外れれば城下町なんかもある。海も近いから、車を借りて牡蠣でも食べにいくっていうのもありかな」
すらすらと出てくる弘人のプラン。私がそちらに行来たくなるような口説き文句をあらかじめ考えていたようだった。
そういうことととらえていいのだろうか。2年も経つのにたった一言、言われたことがないその言葉を今か今かと待ち焦がれて、ついにその時が来るということでいいのだろうか。
「そうだね。そのうち行けたらいいね」
帰りの車内は時間が妙に長く感じた。
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