第8話 ディナー3
ホテルのロビーに入ったときの感動は何か凄い所に来てしまったという感情だった。それならこの場所の感情はなんだろう。
幻想的な空間、と言えば聞こえは良いかもしれないけども、それ以上に私の心は年甲斐もなく踊っていた。そう、例えば初恋の時の大好きな人とお話出来た後のワクワク。頭からモヤモヤが晴れて、色彩が増したようなそんな感覚。語彙力の無い私が呟けるのは、やっぱり綺麗の一言だけだった。
屋上のレストラン。椅子に腰かけてやっと周りの状況が落ち着いて見渡せた。暖色の照明が遠慮がちに店内を照らしている。もう少し明かりが欲しいかなと思わせる空間が映えるようにと各テーブルにキャンドルが灯されている。灯りが漏れるこの箇所が私と弘人だけの空間のように思えてとても愛おしい。
脇の窓から見える夜景もまた綺麗だった。車、店、ビル。全ての明かりが点となってそれぞれの形をぼかしている。きっとあれは車だろう。ホタルが輝くように、ゆったりと流れていく様がゆったりとした時間を感じさせた。
「綺麗だね」
弘人が囁く。テーブル越しに彼の顔がキャンドルに照らされている。
「うん、本当に綺麗。お店も夜景も何もかも」
自然と頬が上がるのが分かる。それだけ素晴らしい空間なんだ。ここは。
でも、弘人は首をゆっくりと横に振った。
「俺が言ったのは明美の事だよ」
さらに胸が高鳴る。
「俺は好きだな、その青いドレス。シンプルだけど大人っぽくて明美にピッタリだと思うんだ」
きっと平時に聞けば歯の浮くようなセリフも今だけはとても魅力的に聞こえる。
あぁ、結局私は単純なようだ。目の前にキラキラとしたものがあれば心躍るし、褒められればうれしくなる。
「もう2年か」
振り返るように弘人が天井を仰いだ。
2年。気付けばあっという間だ。付き合い始めてから2年が経った。
出会いの印象はあまりよくない。私の会社の飲み会の会場にプライベートで飲みに来ていた弘人がたまたま私を見つけてナンパしてきたのが始まりだった。
一目惚れだ。そういう弘人に、幼稚な人だなという感情しかなかった。学生ならともかく社会人で一目惚れってあり得るのだろうか。そんな驚きがあった。多分、下心があってそういう目的で誘ってきているのだろう。
だから断るつもりでいた。でも、あまりにしつこく食い下がってくる物だから次第に会社の人に見られて冷やかされるんじゃないかと焦りが出た。連絡先くらいは良いかと思い渡してしまったのが運の尽きで、気付けばこうやって2年を共に過ごしてきた。
「今でも思うんだ。いや、今だからこそ尚更思うんだ。明美と出会えてよかったなって」
私もそう思う。所詮ナンパをしてくる人だからとあしらうつもりでいたのに、気付けばデートの約束をさせられているし、その次まで約束させられる。それが嫌な感じではなくて、むしろ楽しみで待ちこがれてしまうお誘いなのだ。
「明美は物静かであまり主張をしないけどちゃんと考えているから、ここぞという時にちゃんと支えてくれる。俺はそういう明美の大人な所に惹かれたんだろうな」
私はどこだろう。どこに惹かれたんだろう。
じっと顔を見てみる。特段イケメンという訳でもないけども、優しさにあふれていて実際優しい。その割にはグイグイと引っ張ってくれる強さもあるからそのギャップが良いのかな。いや、それよりも私を大切にしてくれる。それが一番なんだろう。
「だから、明美に頼りっぱなしじゃなくって、俺も明美をもっと楽しませたいし笑わせたい。明美が辛い時はもっと側で支えられるような大人でありたい」
私もそうありたいな。弘人がもっと笑っていてくれるように。
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