第7話 ディナー2

 私に気付いた弘人は大きく手を振った。こっちだよ、こっちと。電話をしているのも忘れて大声で叫んでくる。すぐさま助手席側までやってくるとドアを開けて微笑んだ。

 黒のテーラードジャケットに白のシャツ、カーキ色のチノパンといったちょっとだけフォーマルな感じが新鮮だ。ワンポイントに黒縁の眼鏡をかけているのもまたいい。面長な顔だからあまり好きじゃないと彼は言うけれども、笑ったりしたときにぷっくりと上がる頬が私は好きだ。

「ごめんね、待たせて」

「ううん」

 首を横に振る。大して待たされた訳じゃない。

 弘人は微笑むと、どうぞと私を車内へ促した。車内へと乗り込むと少し弘人の匂いがした。車の匂いとは違うちょっと汗が滲んだ匂い。その香りに包まれている感じがまたほっとする。

 黒を基調としたシックな内装は弘人のお気に入りだ。特に何かカスタマイズをしたわけではないと言っていた気がする。でも、ゴツゴツとしたその感じが普段から余計な事にこだわりを見せない弘人らしさを表している気もする。

「だいたいここから10分くらいなんだ」

 運転席に乗り込んだ弘人がいう。

「今日はどんなところ行くの」

「それはお楽しみ。でも期待してくれていいよ」

 弘人がそういってにやりとした。彼がそこまでいうのは珍しい。

 周りの安全を確認すると車を発進させた。

「明美も綺麗な格好してきてくれたんだ。それに見合うぐらい、いや、それ以上の物を用意しないと」

「私はどうだろう。頑張って選んではみたんだけど、弘人、気に入るかな」

 大丈夫だよ。そういって弘人は笑う。

 ふと、小さく流れている音楽に気付いた。ジャズっぽい洋楽に聞こえる。

「どうしたのおしゃれな音楽なんて流して」

「お、気付いた」

「気付くよ。いつもはこんなの流さないから分かるよ」

「折角の記念日だからさ、ちょっといつもと違うことするのも悪くないかなって思ってさ」

 窓の外には行き交う車や街灯、おしゃれな店が立ち並ぶ。こうやって暗闇を照らす街並みを見ながら、おしゃれな音楽に身を包んでのデート。確かに悪くない。こう、胸がドキドキする高揚感がある。

 それにしても、と弘人は続けた。

「わざわざ駅まで来てくれてありがとう。本当は迎えにいく予定だったんだけど、急に仕事が入ってさ」

 急に申し訳ないモードになって、声のトーンが一つ落ちる。振り向くと申し訳なさそうに眉間に皺を寄せていた。

「仕方ないよ。むしろ今日こうやって会えないかもとさえ思ってたから良かった」

「そうだね」

 俺も不安だったと弘人は呟く。嘘のない独り言のような返事に安心する。

「どうしても仕事柄工場への営業だからさ、土日関係なしにあれこれ持ってこいってあるんだよね。で、持っていくと機械壊れてるから直してくれと。俺はエンジニアじゃないんだからと、文句を言いながら見てみたりするんだけどさ。やっぱりよく分からなくて怒られるんだよな」

「今日はよく抜けてこれたね」

「クライアントにごねたんだよ」

 そういって弘人はくわっと目に力を入れる。

「今日だけは絶対に17時までには終わらせます。終わらなかったら私はこの仕事降りますって」

「大丈夫、そんなこと言っちゃって」

 やけに強気な発言だけに心配にもなる。

 が、弘人は笑い飛ばした。

「そこの親父さんがね、常日頃言ってるんだ。女房の機嫌だけはちゃんととっておけって。俺にとっては明美といるのが大事だから、今日だけは機嫌取りに行かせてくれって」

「なにそれ、まるで私が鬼嫁みたいじゃん」

 そう言って気付く。そういえばぶんたから最近小言が多いなと言われた。え、私って実はその気があるんではないだろうか。

「そんなこと無いよ。明美が優しいことはよく分かってるから」

 私の不安を払拭するように優しい笑顔で弘人は上手く追撃をかわす。そう言われては反論する気も起きない。


 私を乗せた車が行き着いた先はホテルだった。お洒落なホテル。それも多分かなりランクの高い一流ホテルと呼ばれるようなホテルだった。赤い絨毯は優しく足元を包み込み、外の喧騒が吸収されるかのように感じる。広々としたロビーにはこれでもかと高そうなソファーが何個も、いや何十個も置かれている。隅には飾られた花々。台座いっぱいに白を基調とする花が山盛りに飾られている。綺麗な中にも何か力強く溢れ出るものをイメージしているのだろうか。そして吊るされるシャンデリア。まさに豪華なホテルにしかないようなとても大きなシャンデリアが天井を飾っている。キラキラと光る装飾は、動いていないのに輝きが少しずつ揺れて見えて幻想的な空間を演出していた。それなのに狭さは感じさせなくて、むしろ広々とした空間が演出されているのだから開いた口が塞がらない。

「どう。驚いた、明美」

 呆気にとられる私を見てかケラケラと笑う声が聞こえる。

「奮発して頑張ってみたんだ。明美のその驚いた顔が見たくてさ」

 気付けば弘人の顔がすぐ近くにあった。いつもはもう少し細めなその目が大きくなっていた。

「弘人、ここ大丈夫?」

 正直、不安を感じた。何がってお金の問題だ。私も幾らかは持ち合わせは持ってきているけど、こんなに良いところだと多分手持ちでは払いきれない。想像以上のレベルで足がすくんでしまう。

「何が」

「お金、私そこまで持ち合わせてないよ」

「明美、払うつもりでいたの」

 弘人はひどく驚いていた顔をする。まるで私がおかしなことを言っているかのようだ。そんなに意外なことでもないのに、目を見開いている。でも、二人の記念日だ。私も少し位は払いたい。一方で弘人も頑張って用意してくれたのに、文句を言うのもどうなのだろうか。私の雰囲気から何かを察したのか弘人はにこりと笑う。心配ありがとう。でもさ、と続ける。

「今日くらいはカッコつけさせてくれないか。せっかくの記念日なんだ」

 たぶん弘人は私がお金の心配をしたことをフォローしてくれているつもりなのだろう。とても機嫌良さそうにしている弘人を見ると、違うと言いづらい。


 本当に大丈夫なのかなという不安を元に、エレベーターへと乗り込んだ。当然のようにいるエレベーターガールが行き先を聞いてくる。

「勿論、最上階でお願いします」

 勿論とはなんなんだろう。だけどもエレベーターガールは察して静かにボタンを押す。全面ガラス張りのエレベーターがぐんぐん上がっていく。今まで通り抜けてきた町並みがぐんぐんと小さくなっていく。様々な明かりに照らされた夜景がとても幻想的で、気付けば呟いていた。綺麗だね。誰に言うでもなく、ただ呟いていた。

「もっと綺麗な所にいくよ」

 ガラス越しに映る弘人と静かに頷くエレベーターガール。

 どこまでこの人は私に期待を持たせるのだろう。そんなに用意してくれているとは思わなかったから、正直何も用意してきていない身としてはなんだか申し訳なくなる。

 せめてこのコートの下、スモーキーカラーのドレスが弘人の好みに合えばいいのだけども。不安を乗せたエレベータは30秒ほどの時間をかけて最上階へと到達する。

「最上階でございます。どうぞごゆっくりお過ごし下さい」

 エレベーターのドアが開き、エレベータガールが到着したことを告げる。

 微笑ましい物を見たときのように、彼女はにっこりと笑いかけてくれた。



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