第4話 青いベンチ2

 毛繕いを終えたぶんたはベンチで横たわっていた。しばらくは何も言わず子供たちを見ていたけれども、そのうちウトウトと船をこぎ始めた。瞼が重くなって、少しずつ首の揺れが大きくなる。そうしているうちに眠気に負けて、本格的に伸び切って寝始めた。外なんだから警戒心の一つ持たないと危ないんじゃないかなと心配になるけど、本人はそんなこと関係なしに伸び切って寝ている。こうなってしまうとぶんたはしばらくは起きない。


 話相手もいないし、私もそろそろ帰ろう。静かに立ち上がろうとした時だ。

 目の前で誰かが立ち止まったことに気が付く。視線を動かすと、目の前にはお婆さんがたっていた。白髪にはなってしまっているけども、きちんと手入れされているショートヘア―。頬はきちんと上がっていて、きっと微笑み続けてきた人なんだろうと思えた。

「お姉さん、こんにちは」

 ゆったりとした物言いで、和やかな柔らかさが声からにじみ出ていた。私もにっこりと挨拶を返した。

「そこの猫ちゃんはお知り合い?」

「飼っている猫なんです」

 あら、と嬉しそうにお婆さんは驚いた。

「私、散歩でこの公園来たりするんだけど、たまにその子の隣に座らせてもらっているの」

 あぁ、なるほど。この人がぶんたがさっき言っていたお婆さんなのか。確かにぶんたが落ち着くというのもうなずける。年相応の落ち着いた雰囲気を持つ上品な人だ。

「私もとなり良いかしら」

「いいと思いますよ。本人は寝てますから多分気付かないですし」

 二人でフフフと微笑んだ。

 隣ごめんなさいね。遠慮がちにぶんたにそういうと、私とは逆側、ぶんたを挟むような感じでお婆さんが座った。

「お姉さんはいつもこの猫ちゃんと一緒に公園来るの」

「いえ、買い物の帰りにたまたまこの子のおしりが見えたんです。それで追ってきた感じですね」

「いいおしりしてるわよね、この子。ぷっくりとしてて、すごく柔らかそうな感じで」

 ニコニコとしながらぶんたを眺める。本当に愛おしいものを見ているかのように目じりが下がっていた。

「私、いつもこうやって隣に座らせてもらってね。たまにおしゃべりの相手に相手になってもらったりするの」

「おしゃべりですか」

 少し心臓が高鳴る。

「そう、おしゃべり。今日は日向がとても気持ちいねとか今日は風が冷たいねって色々とおしゃべりするの。ちゃんと目を見て聞いてくれている時もあれば、寝ていてい全く興味なさそうな時もあるから、私が独り言言っているみたいになってしまうんだけどね」

 あぁ、なるほど。そういうおしゃべりか。少し期待していたので、ちょっとがっかりとする。

「でも、それもまたいいの。特に反応とかが欲しいわけじゃなくて、ただそこに居てくれるだけで話相手になってくれるから、とても助かっているの」

「誰かいてくれるってだけで、安心しますよね」

 そうなのよ。そういってお婆さんは嬉しそうに首を縦にふる。

「昔は孫が話よく聞いてくれてたんだけどね、女の子でちょっとお天端な。おばあちゃん話長いって言われてからあんまり聞いてもらえなくなっちゃってね。私、おしゃべりだからどうしても人相手だと話相手を疲れさせてしまうみたいなのよね」

 でも、と視線をぶんたに向ける。

「この猫ちゃんとなら嫌な顔もされないし、猫ちゃんが飽きたらどこか行ってしまうからそこが話の終わりって明確に決まっていていいのよね。そこまでは存分におしゃべりできるから余計に気を使ってもらわなくていいし」

 にこやかにしゃべるお婆さんの表情にはちょっとだけ寂しさが見えた。

 本当はおしゃべりの相手が欲しい。けれど人間相手じゃ気を使わせてしまう。おしゃべりが好きな気持ちに蓋をしてしまって、話相手を求めた結果ぶんたに辿り着いた。頷きもせず顔色も変えず、でもただそこに居てくれる。ぶんたはお婆さんと一緒にいるのが心地いいと言っていたけども、それ以上にお婆さんもぶんたと一緒にいるのが心地いいみたいだ。喋れないということは不便なことだと思っていたけども、喋れないということも案外悪いことではないのかもしれない。


 そういえばと、お婆さんは下げていた視線を私に戻す。

「この猫ちゃん、お名前なんて言うの。せっかく飼い主さんに会えたんだし、だいぶ顔見知りになっているのにいつまでも猫ちゃんっていうのもなんかよそよそしくて」

 私に、というよりはぶんたに対してなのだろう。どこまでもこのお婆さんは気を使う人だ。

「ぶんたです」

 名前くらいいいだろう。それにぶんたもお婆さんの事嫌いではないみたいだし。

 ちょっとぶんた、ごめんね。聞こえているかわからないけども、ひと声かけて寝転がっているぶんたを仰向けにする。

 寝ぼけているのかちょっとうめき声を出したが、特に嫌がるそぶりはないのでお婆さんに見えるようにおなかを指さした。白いおなかに一か所だけ、こぶし大の大きさの灰色の模様がある。

「このおなかの模様。なんだか分度器みたいねって、母が感じたらしいんです。じゃあ男の子だしぶんたにしようかって。安易な感じですよね」

 いえいえ、とお婆さんは首を横に振る。

「いい名前だと思うわ。ぶんたちゃん。特別じゃなくても、ちゃんと覚えてもらえるような名前って大事なものよ」

 そういってお婆さんは満面の笑みで微笑んだ。

「ぶんたちゃん、これからもよろしくね」

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