第3話 青いベンチ1
ちょっとした段差が自転車のかごの中身を揺らす。ガタンと音を立てて少し荷崩れするのも、自転車だから仕方ないかなと諦めがつく。
それに大したものは入っていない。小松菜とニンジンとか。適当なご飯を作るための材料とぶんたのカリカリが入ってるだけ。多少乱雑にしたところで、帰ったら常備菜として美味しくなるだけだ。おひたし、しりしり、その他もろもろ。
それに明日は楽しみもある。ずっとここ最近会えてなかったから、多少の事は目をつぶれるくらい心は弾んでいる。
目に映る景色もちょっとだけ綺麗だ。何も意識しないで通り過ぎていく街並みもこうやって見渡せばキラキラと輝いている。公園では小さな子供たちがサッカーボールを蹴ってはしゃいでいた。木々の間を、それこそまるでコマ送りのようにボールめがけて走り抜ける。そんな子供達の笑顔が眩しい。
元々運動音痴だった私はサッカーはおろか大したスポーツをしてこなかった。あんな風に走り回れたらどんなに楽しかったんだろう。羨ましさからかちょっと胸が痛んだ。いけない、いけない。急にアンニュイになってしまった。いつまでも横を向いて走っているのも危ないし視線を戻した。
視線を戻した先。コンクリートの車止めがある公園の入り口。そこに見知った後ろ姿が一瞬見えた。白色のデブっとしたあのおしりはもしかして。自転車のスピードを落として公園の中を覗いてみる。
サッカーグラウンドほどの大きさのこの公園は砂地と遊具、そして中央に広い広場が設置されている。
へい、パス。と大人の真似をしてしきりに叫ぶ子供たちがまた可愛らしい。が、目当てのお尻は見当たらない。遊具がある方にも目を向けてみるけれどお尻は見当たらない。空っぽのブランコが子供たちに遊ばれるのを待っていて物寂しげなだけだった。
気のせいだったのかな。そう思ったけれどもどうしても性分で確認してみたくなる。自転車を邪魔のならないように道の脇に止めるて公園の中に入った。
公園に一歩踏み入れたとき、乾いた砂の感触が足元に伝ってきた。細かい石を押し潰して少し足元が削れるような感覚が子供の頃を思い出させる。公園に入るなんて何年ぶりだろう。懐かしさが心に染み渡った。
ごめん。大きな声が広場に響く。視線を向けるとサッカーボールが少年たちから離れて転がっていた。目の前を横切り、不規則に跳ねてはボールは尚も動き続ける。そうして転がっていった先で青いベンチの足にぶつかり、ゆっくりとまた跳ね返った。
「あ」
いた。青いベンチの上、そこにぶんたがいた。気怠そうな顔をしてボールを眺めてた。しばらく注視していたぶんただったけども、何事もないことが分かると一生懸命体を曲げておなか付近の毛繕いを開始した。太っているから必死そうに毛繕いしているように見える。その動きもまたかわいい。
ぶんたが寝そべるベンチの元まで近寄るとぶんたの邪魔にならないように脇に腰掛けた。椅子がきしんでようやく気付いた———というよりは気に留めた———のか、ぶんたはこちらを一瞥した。
「なんだ、明美か」
せっせとおなか周りの毛繕いを再開する。ご飯の時以外はいつも通りの塩対応だ。別に傷つきもしないけども冗談っぽく言ってみる。
「なんだって何よ。ぶんた酷くない」
「明美なんだから間違いじゃないだろ」
毛繕いをしながらぶんたは答える。音がこもって腹話術を使っているみたいだ。
「いつもここに来るの?」
「いや、たまにだな。同じところを散歩してもつまらないし、変なやつが俺の縄張りで勝手にしていることがないか見に行かないといけないしな」
「ぶんたに縄張りなんてあるんだ」
「明美も家に変な人間入って来たら嫌だろう。それと一緒だ」
「確かにそれは嫌だね。間違いなく体がぞわっとすると思う」
「俺はそこまでしないけどな」
おなかが一通り終わったのか今度は顔を洗い出した。白い右手、というより右前足か。舐めては顔をこする。一連の動作をぶんたは結構激し目に行う。ヘッドバンキングみたいなので首を痛めないのかなと思ってしまうけれど、ぶんたにとっては日常の行為でどこ吹く風のようだ。
「ここは心地がいいからな。日影はなくて、夏以外はポカポカしていて暖かい。多少うるさいけども、婆さんがいるからな。ちょっかいを出されずにすんで悪くないぞ」
「お婆さん?」
この話は初耳だった。毎日のようにどこかへ出かけているけれど、そういえばぶんたが散歩している時の事を積極的に聞くことはあまりない。私はぶんたの外での暮らし方を良く知らなかった。
「このベンチによく座っているんだ。俺が先に来ることもあれば、婆さんが先にいることもある。何を喋っているかは全く分からないがニコニコとしていて良い婆さんだぞ」
「その人はちょっかい出してこないの」
「全くな。ただ隣に座っているだけなんだ。だから凄く心地が良い。同じ人間なのにこうも居心地が違うのかと最初は驚いたな」
「他だとちょっかい出されるんだ」
「酷いもんだぞ」
だいぶうんざりしているのか、顔洗いをやめてじっとこちらを見てくる。
「明美みたいに猫を飼っている匂いがする人間はまだいいんだ。遠くから眺めていたり、ちょっと指を突き出して挨拶っぽいことしてくるから実害があまりない。
これが猫の匂いがしない奴になってくるとおざなりになってきて、急に体触ってきたりするんだ。前は体持ち上げられて、頬ずりさせられたしな」
「ぶんたがかわいいから、みんなスキンシップ取りたいだけじゃないかな」
「でも限度というか、せめてまず顔見知りになってからしないか、そういうの。明美、お前は知らないおっさんから急に体触られたらどう思う」
「あぁ、たしかに。それは嫌だなぁ。というか無理」
「つまりそういうことだ」
どこか自慢げなぶんた。なるほど、確かに猫側の視点でみるとそんな感じなのかなと妙に納得した。
「ぶんたも大変なのね」
「そうだ、大変なんだぞ」
ちょっとつけあがる所が癪にさわるものの、ねぎらいの意味も込めて頭を撫でてあげた。
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