第6話 衝撃の夏休み
基にとってお待ちかねの夏休み中の指定登校日がやって来た。
早瀬が二種目で記録を更新出来たと基にメールを寄越したのは、登校日の三日前だった。
基は約束通り張り切って早瀬の大好物のカツサンドを作った。
登校日の午後は部活動があると言うので、ランチとして食べられるようにクーラーボックスに入れて、当日の朝に渡す旨を返信したのだった。
「基、おはよ。え、何、その荷物?もしかしてもしかしなくても早瀬のヤツ?」
めざとい葵が基の持ち物に釘付けで、自分の分が入っているのだろうかと凝視しているのが見え見えだ。
「おはよう。そうだ。お前の分は帰ってからな。冷蔵庫に入れてあるから今日は俺んちに来いよ」
「えっ?僕の分もあるの?うわぁ~基ってば太っ腹だね!有難う!やったあ~!」
期待しているくせによくいうよな、と思ったが、基は早瀬との約束をやっと果たせるということで機嫌が良かった。早く彼の喜ぶ顔が見たいと胸が高鳴るのだった。
(ん?基、珍しく上機嫌かな?)
葵はいつも仏頂面をしている基の口角が少しばかり上向きになっているのを見逃さない。
嵐の前の静けさ、とはこのような日のことを現しているのだと誰もが思いもよらなかっただろう。
夏休みも中盤に入り、梅雨も明け、晴天に恵まれたこの日の出来事は後の二人にとって避けて通れない人生の分かれ道になるとは知る由もなかった。
基は早瀬と校門の前で待ち合わせをして、朝のうちにプレゼントとして渡そうとしていた。
校門の近くに、早瀬と並んでもう一人の後ろ姿が見える。
基と葵が近付くと、早瀬が気付いて二人を見た。すると傍にいた女子がスッと早瀬から離れ、手を振って校舎へと入って行った。
「おはよう!W杉崎っち!」
「うっす」
「おはよ~おひさだね!……今の子、誰?」
こんな時、基は葵にいつもギョッとする。聞きにくいことをいとも簡単に厚かましく素直に自然に尋ねてしまうからだ。
「部のマネージャーだよ。二年生の」
「ふうん。先輩なんだ」
「うん。午後は部活があるからね。そのことでちょっと」
理由を聞いたわけではないが、早瀬が付け加える。
「部活と言えば……これ。口に合うかどうか分からないけど、食べてくれ。タイム更新おめでとう」
基が早瀬に小ぶりのクーラーボックスを渡した。
みるみるうちに、早瀬の表情がくしゃっと目を細めた可愛らしい笑顔になった。
「うわあっ!有難う基っち!凄いな!本当に作ってくれたんだ!」
「……約束だからな。味の保証は出来ないけど、今はこれが限界で俺の最高レベルなんだ」
とても大事そうに箱を受け取ると、早瀬は昼まで我慢が出来そうもないのか、その場で中身を確認してしまう。
「うっ……神々しいっ……この色つや!うおっ!サラダまであるじゃん!嬉しいよ有難う!うわぁ今日も頑張れそうだよー!」
「良かったね、早瀬ぇ。部活ガンバ!」
「うん!頑張るよ!あ、このボックス返すの後でもいい?うう……今食べたいよう……」
校門前で立ち止まっている三名を他の生徒たちが横目で見ながら追い越して行く。中にはクーラーボックスの中を盗み見するかのように覗きこむ生徒もいた。
「それなんだけど、このボックスも保冷バーも百均だから返さなくていい。あと何度かは使えると思うから使ってくれ」
「ええっ?これ百均なのか!これごと貰っちゃっていいの?これ重宝するよな!有難う基っち!」
好きな人に喜んで貰えた基は、この上ない幸せをかみしめていた。
もうひとつ、欲を言えば早瀬がカツサンドをほおばるところが見たい。しかし、部活があるので部室で昼食を摂ることになっている。残念ながらそれは叶わないが、ここまで喜んでくれて大好きな笑顔が見られたので基は満足だった。
葵は基が上機嫌であるのは、納得いくカツサンドが出来上がったことによるものだと思っていた。
嬉しさの対象が異なっているとは全く考えもしなかった。
中学生になって最初の夏休みは、宿題を置き去りにして足早に通り過ぎた。提出期限を僅かに掠めながら二学期に入った後で本腰を入れた基と葵だった。
二人の兄たちからは「お前らはバカなんだな」と一笑に付された。
葵も基も、宿題どころではなかった。自分自身の悩みや、恋の悩みで手一杯だったのだ。まだこの時点ではお互いがお互いの好きな(好きだった)相手のことなど全く想像もつかない。
クラスメイトや友人の間では、同級生の誰が先輩の誰と付き合い始めたとか別れたとかを興味本位で噂を立てたり、憶測で流してそれを機会にくっ付いたり離れたりと、時には他校の生徒にまで噂話は拡がりを見せた。
同じ学校であれば尚更のこと、特に女子などは情報を掴むことが早かった。葵はどちらかと言うと、噂話は女子のグループにそれとなく混じっていたこともあり、男子グループよりは恋バナ関係の情報は幾分入手が早かった。
女子の男子を見つめる目や表情、また男子が女子を見つめる視線や行動に敏感でいち早く気付いたのは葵だったかもしれない。
夏休みが終わると体育祭や文化祭のシーズンがやって来る。運動部はその前に新人戦や秋の記録会等が待ち構えている為、夏休みの過ごし方がこの辺りではっきりと差が出始める。
差が出始めるのは部活動だけではなかった。様々な悩みを抱えた中学生たちは、若さ故に多忙であった。
「最近さあ、一年が先輩とくっつくケースが増えてない?」
葵が女子たちと昼休みにベランダから校庭を眺めて呟いた。
「うーん。一学期は一年と三年のカップルが多かったけどさ、夏休みが過ぎたら一年二年カップルが主流になってたよね」
「やっぱアレじゃない?三年の部活引退。そんで受験勉強まっしぐら、でしょー?」
「あ、そうだよね。でもってさあ、三年同士が別れた話を聞かないのはなんでかな?」
「ほら、お互いを高めあってとかさ……」
「いやっ、ちょっとそれやらしくない?」
「え、何ちょい待ってよ、そんな風に取る方がやらしいじゃない!っていうか男子もいるんだからさあ、ちょっとぉ」
「僕なら大丈夫。他の男子には黙っててあげるよ?それよりさあ……ちょっと気になる噂を小耳にねぇ……」
「出たぁ!葵っちの地獄耳!もしかしたら、あの子のこと?」
女子が校庭でサッカーをしている男子数名の中の一人を指した。
「あれ、あの子陸上じゃなかった?まあ昼休みだからか。うん」
それは陸上部の早瀬だった。
「そうだよ、早瀬なんだけどさ、なんか知ってる?僕ね、早瀬が部の先輩マネージャーといい感じなんだって聞いたんだよね……」
あの早瀬が?と耳を疑った。奥手そうな可愛いイメージがある早瀬に年上の彼女?と思ったのだ。
すると女子の一人が校庭の隅に固まっている女子生徒を指して、注意を促した。
「葵っちにしては情報が届くのが遅くない?ほら、あの集団の中のポニーテールの人だよ。二年の陸上部のマネージャー。夏休みから付き合い始めたって」
一同が「ええええーっ!」とベランダの手すりから離れてのけ反った。
「ちょ、声が大きいって」
「ええと、だってだってあの早瀬くんだよ?ウッソー」
大声を上げたので校庭からベランダを見られないようにしゃがみ込むと、葵たちはヒソヒソと噂話の検証に入った。
「ホントだって。あたし兄貴が二年だもん。彼女さんとはクラスは違うけど。兄貴が話してたもん」
「えええショック……早瀬くんなら可愛い後輩と付き合うイメージあるんだけど……あの先輩はさ、なんか偉そうなしっかり者って感じだよねぇ?」
「ほら、陸上部のマネージャーだからさ、しっかり者なんじゃないの?それか母性愛っぽいとかさ」
「どちらかと言うと、早瀬っちの方が可愛いと思う」
「あ、それ僕もそう思う。あの先輩はカッコいい感じだよ」
「えー、そうかな」
ベランダで体勢を低くして話し込んでいると、教室からは奇妙な視線が送られて来る。葵たちは「入ろっか」と、教室へ戻った。
午後の授業が始まっても、葵は早瀬と二年の彼女とが付き合っていることに少なからずともショックを受けているせいか、全く内容が頭に入って来なかった。
(コレは重大ニュース!早く基にも教えてやらなくちゃ。調理実習室からは校庭が丸見えだもんね。もしかしたら、基は知ってるかも?)
葵は基の想い人のことなど全く知らなかったので、本人には最も残酷な話題をとびきりの笑顔を持って報告をしてしまった。
基は、マネージャーであるが故に早瀬に接近しているのだろう、と校庭を眺めては自分に言い聞かせていた。
葵の突然の知らせにより、小学校高学年から温めていた早瀬への想いに亀裂が生じてしまった。
失恋と、早瀬は異性愛者なのだという彼らにとって当たり前であることが、自分にとっては当たり前ではないことに気付いて二重のショックを受けた。
基にとって、避けては通れない道だった。
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