第5話 基と葵とバレンタインデー

 基が自分と同じ男の子が好きだと気付いたのは、小学校四年生の時のバレンタインデーがきっかけだった。

 その日は基の誕生日で、自宅のポストにラッピングされたチョコレートの小箱が三個入っていて、後日、記名のあったカードを元に母親がPTA名簿から探し出し、前に同じクラスだった女子だと判明した。基は彼女たちの容姿をすっかり忘れていた。当時は個人情報にはまだそんなに煩くはなかったので、住所等も調べることが可能だった。

 基は周囲のアドバイスを元に、ホワイトデーにクッキーをそれぞれの家のポストへ配達して回り、これで肩の荷が下りた!とスッキリサッパリとして全てが終わったと思っていた。

 が、しかし、そうは問屋が卸さなかった。

 翌日の放課後、彼女たちは帰り際の基のクラスまで押しかけて来て、三名の内で誰が一番好きか?と質問を投げかけたのである。正確には廊下での出来事であった。

 狼狽えた基は軽い嘘をつき「皆同じくらい好き」と答え、丁度教室に残っていた早瀬亨はやせとおるに一部始終を見られてしまったのだった。

 基は彼女たちより早瀬の方が可愛い、と意識し始めて、だんだん彼への興味や想いが自覚出来るまでに大きく膨らんで行った。そしてとうとう自分は早瀬亨が初恋なのだ、と腑に落ちたのである。

 同時に心身の成長とが相まって、基は次第に家族や友人や従兄弟の葵たちとも見えない距離を置くようになった。

 特に葵は四六時中べったりと行動を共にしていたので、基は自分が同性愛者だとは分からないように細心の注意を払っていた。


 その一方、葵は葵で基と同じように悩みを抱えていた。

 葵が自分のことを周囲とは違うのではないか、と気付いたのは、基が自覚した一年後のホワイトデーの日のことだった。

 葵は基が一年前のバレンタインデーにチョコレートを貰って、ホワイトデーにクッキーを渡したことを知っていた。自分は貰わなかったのだが、「僕も欲しいな」とこぼすと珍しくケチな母親がチョコレートケーキを買ってくれたのだった。

 翌年のバレンタインデーでは、基は家のポストに前の晩からガムテープを貼っておいた。朝刊は門の間に挟まれて配達されており、昼間の郵便配達員からインターホンで告げられるまで、誰にも気付かれてはいなかった。

 朝刊は忘れ去られていたらしい。

 学校から帰宅すると母親から大目玉を食らった。

 それくらい、チョコレートをポストへ入れられたくはなかったのだ。

 学校帰りに待ち伏せしてチョコレートを渡そうとする強者もいたが、基は受け取れない、気持ちだけ有り難く受け取っておく、と断った。葵は直にそれらを見た。

 その翌月のホワイトデーに、葵は校舎内で数名の女子たちが戦果を報告しあっているところを偶然通りかかった廊下の死角な場所から聞いてしまう。

 誰にチョコレートをあげたとか、誰が好きだとかの内容に、葵はいちいち「その子はやめておいた方がいいよ、性格がちょっと残念だから」「その子はおっさんなんかじゃないよ、渋いって言うの」と、自らも女子たちに混じって恋バナをしたいと思ったのだった。

 その時、ある男子の名前が挙がった。彼女たちのひとりが告白したが、好きな子がいるからと断られてしまい、慰められていたのだ。

 まさにその時、葵は胸の中に何やら引っかかるを感じ取った。自分では意識しなかったが、日を追うごとに風船のように膨らんで行った。一体これは何だろう?葵はやがてのことが頭から離れなくなってしまった。

 夢にも彼は現れた。すると余計に葵は彼のことを意識してしまう。学校の廊下ですれ違うものならば、胸の鼓動は早鐘を打ち、頬が熱くなって視線をどこへ向けていいのかが分からなくなり、とても困った。病気にでもなってしまったのだろうか、と悩んだ。

 誰にも相談出来なかった。

 四月になり、六年生に進級してすぐのことだ。

 友人が、好きな子と同じクラスになれて嬉しい反面困ると話題を振って来た。

 葵はそこで、自分がそのに抱いている気持ちと全く同じ内容の話を聞いて、更に悩んでしまうのだった。相手は同じ男の子であったからだ。

 葵が初恋の相手であると自覚した彼は、ミニバスのキャプテンになった。

 そして、女子のミニバスのキャプテンと付き合っているらしいと噂がたち、噂は真実であったと分かり、淡い恋心は自覚したと同時に砕け散った。

 その失恋が引き金となり、異性や同性と言った問題を意識し始めた。それまで考えたこともなかった様々な思いが頭の中に巡り巡って、こんなに悩む12歳児は世界中で自分だけであるに違いない。ギネスブックに登録するにはどうしたらいいのだろう?と、頭の中に妙な考えが湧いて出たりもした。

 基には勿論、家族や友人にも話せない。知られてはいけない。普通とは違っているのだ、と、自分に言い聞かせた。


 

 (峰岸みねぎしくん……今頃どうしているかな……)

 ミニバスのキャプテンを務めた初恋の君は、バスケットの強豪私立校へ中学受験を経て進学した。

 葵は失恋の傷が浅い内に彼と離れ離れになれたことにホッとしていた。

 小六の約一年間、彼と付き合っていた女子キャプテンとは卒業と同時に自然消滅したらしい。中学が別々になり、またそれぞれの環境ががらりと変わったことが原因らしい。中学生でありながら遠距離恋愛もどきのあれこれの報告をクラスの女子たちがヒソヒソと話していて、葵は彼女らの傍に近寄って、耳だけを傾けて我慢していた。本当ならば一緒になって噂話に混ざりたかった。

 

 (いいなあ……男子たちとは同じ話をしたとしてもさ、なんか違うんだよね……こっちの話に混ざりたいな)

 少しずつ異性と同性の間にズレを生じていた葵は、また基とは異なる悩みを抱えていた。

 二人とも同性を好きになる点では共通していたが、葵には違う側面が現れていた。

 たまたま、基の帰りが遅くなると前もって分かっていた日があった。葵は珍しく独りで下校した。 

 帰宅すると、母がTVでワイドショー番組を見ていた。葵もおやつを食べながら、一緒にそれを見た。

 部活動をしていない葵はいつも基を待っている形になっているので、早くは帰らない。そのワイドショーを見たことがなかった。

 そこでは、「オカマ」と呼ばれたり「ニューハーフ」と称される芸能人、タレントが画面を賑わせていた。

 ファッションを追求したり、美容や食事の話題、また彼女たちの過去話に盛り上がっていて、いつしか葵はおやつのプリンを食べることを忘れて、TVに釘付けになっていたのだった。

 ニューハーフという言葉を初めて知り、ショーという華々しい公演があることを初めて知った。

 「あら、葵どうしたの。食べないの?賞味期限は切れてなかったでしょう?大丈夫だったはずよ」

 なかなかスプーンを動かさない息子に松乃は訝しんだ。以前に賞味期限切れのおやつを出して、葵が「ちょっと変じゃない?」と食べるのを躊躇ったことがあったのだ。松乃はそれ以来、一応はチェックを入れていた。

 「あ、うん。大丈夫。食べるよ」

 止まっていた手を動かしながら、葵はTV画面から目を離さない。

 (この人たちの中には、生まれた時は男性であったのに、途中で自分は違うと気付いて手術を受けて女性になった人がいるんだ……。) 

 戸籍や改名のことには触れてはいなかったが、葵の心には衝撃が走ったのだった。

 (僕はもしかしたら、この人たちと近いか、同じなのかもしれない……だって好みの男の人って話をしてるもん……)

 同性を好きになったと気が付いて、自分は周囲とは異なると自覚した。

 それからは、誰にも知られないように気を付け気を張って暮らしていた。

 進んで情報を得ようなどとは思いもしなかった。が、偶然ワイドショー番組から答えのようなものが流れて来た。

 葵は(僕はオカマなのか……)と、TVを見ながら未来の自分を少しだけ重ねてため息を静かに吐いた。

 そして、また番組内で関係した情報を得られるかもしれないと考えた葵は、TV番組情報誌を買って、期待した文字を見つけた日は基の部活が終わるのを待たずに早めに下校した。

 悩みは解消されはしなかったが、似ている生い立ちのタレントに親近感が湧いて、嬉しくなった。

 葵も基もお互いに自分の秘密に気付かれないように必死だった。

 中学生ともなれば、友人たちとの間で性に関する話題が下ネタ話として冗談交じりに交わされ始める。が、二人は極力進んで口を挟もうとはしなかった。

 少しでも気を抜けば、自らの墓穴を掘りかねない。お互いがそう思っていた。

 葵は自然と男子よりも女子たちと普通に会話に混ざるようになり、基は葵の他にはあまり親しい友人を作ろうとはしなくなった。

 

 夏休みに入り、基は目標としている『最愛の早瀬に美味しいカツサンドを作る』ため、もくもくと練習に励んだ。 

 葵は母と妹と一緒に午前、午後のワイドショー番組の視聴を欠かさないようになり、暇をみては母と妹と三人で手作りのおやつを作っては楽しみ、ショッピングには必ず付いて行ったりと、夏休みを自分なりに満喫した。

 芸能人やタレントの中に自分と同じ人間がいる……それを知って、少しだけ肩の力が抜けたのだ。

 自分だけではない。を公言して生きている人がいた。いつかは正直に話せるときが来るのか?

 葵はこの辺りから『遠い未来を考えない』ようになった。考えられるのは近い未来だけ。一年か二年先、それくらいの未来だけだった。

 自分の将来などを考えると、頭が痛くなる。どうやって生きて行けばいいのだろう?葵の心の中には不安しかなかった。

 

 基は夏休み中の登校日を心待ちにしていた。早瀬にプレゼントを渡せるまでの納得のいくレベルのカツサンドを作れるまでに上達したのだ。

 気持ちを切り替えて前向きに生きようと二人の中学生は、それぞれの気持ちを悟られないように一生懸命だった。


 

 

 

 


 

 

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