第4話 早瀬とカツサンド
「珍しいじゃん?ダブル杉崎っちとこんな所でさあ。どこ行くの?」
走って来たのに息も切らさないで話し出した早瀬を凄いなあ!と葵は眺めた。
「お昼ご飯の買い出しなんだ。基が作ってくれるの!」
隣で基がビクッとして、葵を見たが、本人は気付いていない。
「ええっ!いいなあ!基っち、何を作るの?」
早瀬は首に巻いたスポーツタオルで額や首の汗を拭きながら、足首のストレッチをしている。
「う、ん、そんな大したものじゃ」
「カツサンドだって」
葵と基が同時に答える。
「ばっ、おまっ」
「えっカツサンド!?いいなあ!!」
慌てモードの基に葵は(ん?なんか変なこと言った?)と考えたが、どこにもおかしなところはない。と思い直して会話を続ける。
「早瀬も来る?基んちに」
「えっ?」
「えっ!」
明らかに思惑の異なる「えっ」ではある。が、お互いに気付いてはいない。何故か基は深呼吸をしている。
「出来合いのヒレカツで作るヤツだから、大したもんじゃないけどな……それでも、良かったら……混ざるか?」
(自分が誘っといてあれだけど、基が友達を家に誘うのって珍しいかも)
葵がポーカーフェイスの基を見ながら、思った。
「う~っ!行きたい!ゴチになりたい!俺、カツサンド大好物なんだよ!!……でもなぁ……これから学校に行かなきゃ、なんだよなぁ……」
とても悔しそうに早瀬はタオルを振り回した。
「学校?早瀬、補習でも受けてんの?」
「ばぁっか、早瀬はお前よりは頭良いに決まってンだろ」
「うるさいな、それくらい知ってるけどさ、今日休みなのに、って思ったんだもん」
テンポの良すぎる葵と基の会話の最中に、周囲はあまり口を挟めない。
約三分は待ったと思った早瀬は、腕時計を気にしながら話し始めた。
「今日はさ、陸上部のマネージャーから一年生だけが呼ばれたんだ。色々タイム計るんだって。一時半に集合して、三時くらいに開始だからちょっと足慣らしをしてたんだ。あーくそっ、カツサンド食い損ねるとはっ!悔しいな!」
「記録?一年だけが?てか、マネージャーってウチの学校、いたか?」
陽射しが強い中、日光を遮る木々は公園の反対側にある。三人は炎天下で立ち話をしているわけだ。三名とも頬が上気している。
「いるよ。一年にはまだいないけど、二年と三年にはいるんだ。基っち、調理室から見えない?見たことない?」
「……いや、うん……そんなしょっちゅう見てるわけじゃないけど」
基が頬を赤らめたのは、暑さのせいか?と二人は思った。
「僕も知らなかったよ。ね、マネージャーって女子?タイムを計るって、短距離?」
「うん。女子だよ。今日は百、二百、八百を計るって言ってたな。来週は幅跳びと棒高とハードルだったと思う」
「ふぅん。このあっついのに大変だね。一年生だけなんだ?」
「うん。中体連が終わったら三年生は引退だろ?そうしたら、夏休みからは一年生もそろそろ自分の競技種目を選んでトレーニングしなきゃならないんだって。もしかしたら、記録次第では二年生と一緒に秋の記録会に出られるかもしれないし」
「あ……だから時々違うテリトリーで部活やってたのか……」
基はやっと分かった、と呟いた。
「うん。一年は入部直後はまんべんなく一通りやらされるって言われた。俺、苦手種目もやったよ。嫌だったけどな」
ハハハ、と笑って早瀬は顔をクシャッとほころばせた。
(え、やっぱ早瀬って可愛いじゃん!)
葵は早瀬の笑顔につられてニコッと笑う。反対に、基は何故か無表情になっていた。
「あ、ヤバい!そろそろ帰って昼メシ食わないとマネージャーに怒られる!早メシしとけって言われてんだ」
腕時計を再び見直して、タオルを首にかけ直した。
「悪かったな。トレーニングの邪魔して」
「そんなことないって。そろそろ切り上げようと思ってたし……基っちがカツサンドを作れる、って知れたしな!」
「今日は早瀬の代わりに僕がいっぱい食べておくよ!」
「お前、バカか……」
基は呆れて二の句が継げないでいる。早瀬はケラケラと笑って、「いいなあ、葵っち~!」と葵の両肩に手をかけた。
「じゃあ、頼んだよ」
ニマッと笑った早瀬の顔には「この次は絶対食べてやる!」と書いてある。
「うん、任せて!早瀬、頑張ってね!」
「タイムが更新出来たら、プレゼントをやるよ」
基の言葉に早瀬の目が輝いた。
「え、まさかまさかですか?」
「俺がちゃんとカツから作れるようになってからだけどな」
「うわぁ、楽しみだ~!断然やる気出て来た~!よし、カツサンドの為に頑張ろう!」
そう言って、再び走りながら家に向かって行った。
「……早瀬って、カツサンドが好きだったんだ……僕、知らなかった。同じクラスになったことはあったのに。あ。急にお腹空いてきちゃった」
葵がグウウ、と鳴っているお腹をさすりながら基を見た。早く作ってくれ、と表情が物語っている。
「俺も腹減った……早く買って作るか」
「うん、デザートは僕が買うから、サンドイッチはいっぱい作ってね!」
「お前も気合入ってんな……」
たかが出来合いのヒレカツで作る即席ものなのに、と基は思った。
葵が基の家でカツサンドを貪り、デザートのフルーツヨーグルトを食べ終えた頃、基の母、
「あらっ、間に合わなかった?」
「あ、おばさんこんにちは~!あのね、僕んち誰もいなかったから、基がご飯作ってくれたの~!ごちそうさまでした~!って、お帰りなさい!」
「……おかえり」
「ただいま。遅くなってごめんねぇ。え、基が作ったの?お姉ちゃんもいなかったの?」
葵の母、
「うん、お母さんは僕のお昼ご飯なんか忘れちゃったみたいでさぁ、でもそのおかげでカツサンドが食べられたんだよ!」
「葵だってフルーツヨーグルトを作ってくれただろう」
「あらぁ、美味しそうじゃない?葵も作ったの?」
「うん、作ったというか、カットしたバナナとオレンジをヨーグルトに混ぜただけだよ」
フルーツヨーグルトの名残が見え隠れしている器を見て、琴子は食べたかった、と思うと同時に自分が持っていたレジ袋に気付いた。
「あっ、じゃあ、このお弁当は四つあるから、ひとつ葵が持って行ってくれる?」
と、レジ袋から取り出して葵に持たせた。
「え、いい匂い!鳥弁じゃん!うゎお、いいの?」
「私は会議中に食べて来たの。間に合わうかな、と思って急いで来たんだけど、始もいないみたいだし……夕飯に回すわ。私は同じ物を食べたくないからいいの」
「三個で足りるの?」
(多分、
「そんなの心配しなくても大丈夫。それだけじゃないから。ね、基?」
「あ、うん、そうだよな……」
基が立ち上がってキッチンへ向かう。冷蔵庫の中を確認して、ブツブツと独り言を言っている。何かを作る予定らしい。
「買い出し行かなくても大丈夫そうだよ。さっきスーパーでちょっと買い足しておいたから」
「ホント?あらぁ、気が利くじゃない。じゃあ後でレシート見せてね。お金返すわ」
「ここん
親子の会話を聞いていた葵が羨ましそうに言う。
琴子には葵の言わんとする意味が分かっていた。
「……お姉ちゃん、ケチだものねぇ」
子供たちが食料を買い足しておいたならば、「あらっ、ラッキーだわ!」で済ませてしまいそうな
「ねぇ?僕ん
正しくは会社を経営している。
いつものことなので二人とも突っ込むことはしない。
「やっぱり本社のほうが儲かるのかなあ?ウチは支社だから、お母さんがケチなの?」
「……違うと思うわよ。お姉ちゃんは昔からケチだったもの」
本社の社長は琴子の夫が、支社は松乃の夫が社長を務めている。姉妹の父の会社を二つに分けた婿たちであった。何故か妹の方が本社を預かっている。
杉崎家の七不思議のひとつだ。
ルンルン気分で葵が帰って行った後、基は取り置いておいたカツサンドを琴子に出した。一応家族の分も少しは作っていたのだ。
「ホント、基は料理が上手くなったわねえ……これ、美味しいわよ。最近よくカツサンドを作っているじゃない?前からそんなに好きだったかしら」
基は琴子の方を見ずに、コーヒーを淹れていた。母の顔が見られない。
「……そんないつも作ってねぇし。カツは出来合いだし……出来れば全部、カツから作りたいし……はい、ブラックでいいんだよね」
「ありがとう。え?カツから揚げるつもりなの?基、あなた凝るわねえ……誰に似たのかしら?パパ?えー有り得ないわよね。私だってそこまでやらないしねぇ……」
基はもごもごと口にしていたが、ハッキリ琴子には聞こえなかった。
「……食わせたい人が……いるから……」
基がカツサンドにこだわっていたのは、陸上部の早瀬に大好物を食べて貰いたいと思っているからだ。
あのクシャッとした愛嬌のある可愛い笑顔。笑うと垂れ目のように見えるが、またそれも可愛い。
カツサンドだけでなく、色々な美味しい物をもっと作れるようになりたい。早瀬の喜ぶ顔が見たい。ずっと見ていたい。
校庭を走っている時の真剣な顔もまた、いい。並んで走れるものならば、一緒に走って、たまには肩を組んだり、頭をポンと軽く叩いたり、触ったり……いきなり横から抱きついて、じゃれ合ってみたい……。教室で黒板を眺めている横顔も好みだ。眠そうにあくびをしている様子は写真に撮っておきたい……。
基の想い人は、早瀬であった。
小学生の頃に自覚して、誰にも知られないように細心の注意を払って学校生活を送っていた。
早瀬がカツサンドが大好物だと偶然知ったのは、六年生の時だった。
その時から中学生になったら料理研究部に入ろうと決めていた。
基は、夏休み中に特訓をして大好きな人に大好物を食べて貰おうと心に決めたのだった。
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