第6話 やっぱりこんなの無理……よく我慢したね

 翔は、早紀に対して「元に戻りたくない、ずっとこのままでいたい」と言ってしまった。

(しまった! 思わず早紀の前でとんでもない事を言ってしまった)


 翔はあまりの快感についつい本音をぽろっともらしてしまったのだ。なにせ翔は女に生まれたかったトランスジェンダーである。絶対に叶わないと思っていた長年の夢が叶って浮かれていたという事もある。


 下手をすれば、夫婦の危機をもたらしかねないような爆弾発言かと思われた。


 ところが、早紀は悲しそうな目で翔を見つめるのみで、一言も言葉を発しなかった。

(うわ~口も利きたくない程怒らせちゃったかな……)


 早紀は怒ってはいなかった。なぜなら、かつて自分がPSASイクイク病を発症したばかりの頃に通った道だったからだ。


 感度を増した自分の身体に溺れてしまった事を思い出していた。翔がその後に訪れるであろう絶望感に苦しめられる事を心配していたのだ。



 コロナ禍の影響で、翔の会社はテレワークが進められていた。でも、やはり週に2日は通勤しなければならない。また、在宅勤務中にも頻繁に電話がかかってくるため、その対応は早紀がしなければならない。そこで翔は、早紀に仕事の内容だけでなく、会社の人間関係や仲の良い同僚、先輩等の情報を伝えた。


「広報部の早川には注意して。なぜか逆恨みされてるみたいなんだ。全然心当たりがないんだけど」

「どんな人?」

「いい歳して独身。婚活してるみたい」


「もしかして結婚してる翔がうらやましいのかも。男の人の嫉妬って怖いね」

「どうかなあ」



 早紀はPSASのためほとんど外出しないので、あまり翔に伝える事はなかった。学生時代からの友人である山本美香、神田花江と、近所の人達の情報を翔に伝えた。

「近所の人とは世間話くらいしかしないし、私も美香も花江も、結婚してからはあまり会わなくなったの。だからあまり心配はいらないけどね」


「うんうん」

「あとは……そうだ、美容院の川口さんの事も知っておいて。けっこう突っ込んだ話もするからボロが出ないようにしないと」


「そうか。僕はいつも1000円カットだからあまり関係ないけど、女の人だとその問題があったか」

「それでね……」

 早紀は、翔に身だしなみについての注意点等を詳細に伝えた。


 早紀は、翔と入れ替わってから初出勤の日を迎えた。

「じゃあ、行って来るね」

「いってらっしゃい。言葉遣いに注意してね。女言葉にならないように。何かあったらすぐに電話して」

「わかった。あ、翔」


「何?」

「私がいないからってあんまり激しく一人でしないでソフトに……」

「なるべくそうする」


「もう! 心配だなあ……」

「大丈夫だよ」

(そんな事いっても我慢出来ないよ……)


 翔は、なんとかしてこの快感をこれから先もずっと味わいたいと思った。それで……

「イブ、そこにいるんだろ。出てきてくれないか」

「呼んだ?」

 すぐに翔の目の前に現れるイブ。


「今の見てないだろうね!」

「見てないよ。だって見なくてもあんたが何してるか知ってるから」

「もう~恥ずかしいなあ」

 翔は顔を真っ赤にしてイブに言った。


「あのさ……ダメ元で聞きたいんだけど、元に戻らずにずっと入れ替わったままには出来ないの?」

「無理。前も言ったけど目的達成or不達成で必ず元に戻る。それまでの一時的な夢のまた夢だと思って」


「そう言わずに、なんとかして……お願いっ」

「もう~本当にドスケベなんだから……でもね、そんな余裕こいてられるのも今のうちだよ」

「へっ?」


「あんたの目は節穴か。今まで近くで早紀がどれだけ苦しんできたのか、ずっと見て来たんだろ。今度はあんたが同じ事を味わうんだよ」

「そうだね。これからどうなっちゃうんだろう」


「すっかり女の快感のとりこになってるんだ。たまにならいいけど、これが日常的にずっと続くんだからね。ちょっと想像してみたら」

「たしかに色々困る事がありそうだね。まだ実感わかないけど」

「まあ、あたいは高見の見物するだけだけどね。がんばって」


 さて、今日は鷺沼医師の健診を受けなければならない。


 入れ替わる前は、早紀に頼まれて翔が遠方への移動には車で連れて行ってくれた。しかし、今日はどうしてもはずせない大事な会議のための出勤日なのだ。


 そこで、やむを得ず一人で電車に乗る事になった。鷺沼医師の産院は電車だと1時間以上かかる。出来れば電車での遠距離移動は避けたかったが仕方ない。

(そういえば電車の振動でも症状が出るって言ってたな。替えの下着とか用意しなきゃ)


 翔は、電車の振動がいかにPSASの症状を悪化させるかを甘く見ていた。電車の中でもかまわず襲って来る強烈な性衝動。とにかく我慢する事が出来ない。


 女性専用車両でもとても恥ずかしい。まだ自分が女の外見だという実感がないから、周り中から白い目で見られているような錯覚に陥る。そんな状態で症状が出て来た。


 どうしても我慢出来ない激しい身体のうずき。翔は早紀の見よう見まねで、手を使わずに脚の組替えだけで達して、PSASの症状をなんとか抑えようとした。


 が、見た目では簡単そうに見えたその自慰は、思ったよりも難しかった。性欲が強い割に相当な恥ずかしがり屋の翔は、羞恥心が邪魔をして人前でイク事がとても恥ずかしかったのだ。

(僕がこんなに恥ずかしいんだから、早紀はいったいどんなに恥ずかしかったのだろう)


 手を使わない方法が出来ず、やむを得ず見えないようにアソコを……


「ンっ、ごほごほっ」必死で声を押し殺し、咳払いで誤魔化す。

 翔は、生まれて初めて周りに人がたくさんいる中で絶頂に達した。顔から火が出そうな羞恥。

(うう……だめだ。どうしても声を抑えられない。それに早紀みたいに手を使わずにイクってけっこう難しい。かなり練習しないと出来ないよ。困ったなあ……)


 とても恥ずかしい。それなのにどうしてもオナニーする事を身体が求めてきて止まらない。

(そう言えば海外で仕事中に18回オナニーしてもいいっていう判決が出たんだっけ。こりゃ無理もないな……とても我慢出来ない)


 行きの電車の中での1時間の間に、翔は10回以上もオーガズムに達し、身体が激しく疲労してしまった。これから診察を受け、帰宅するのかと考えただけで憂鬱ゆううつになった。

(早紀、君はいつもこんな激しい欲望と闘っていたのか。なんて恐ろしい病気なんだPSASは……)


 なんと、あのドスケベな翔がほんの数日で女の快感を楽しめなくなっていた。

 恐るべしPSAS。


◇◇◇◇◇◇



 読んでいただきありがとうございました。


 次の第7話は、PSASと闘いながら検診を受け、帰宅した後も悪戦苦闘する翔。いったいどうなるのでしょうか。お楽しみに!

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